陳家私菜の「本場四川皇帝よだれ鶏」
空前のブームを見せる「ガチ中華」。激しい競争の中で生き残る店と消えていく店にはどのような違いがあるのでしょうか。日本人を惹きつける名店の試行錯誤や、在日中国人ネットワークを活かした独自の工夫について、書籍『中国人は日本で何をしているのか』より解説します。
※本稿は中島恵著『中国人は日本で何をしているのか』(日経BP)より一部を抜粋・再構成したものです。
「元祖ガチ中華」の経営者

コロナ禍以後、日本風にアレンジしていない本場中国の料理「ガチ中華」が流行している。中国発チェーンのフランチャイズのほか、日本で独自に開業した在日中国人向けの店もある。関係者は「専門知識がなくても始められる。大きな商いではないが、毎日キャッシュが入ってくるので生き延びやすい」と説明する。
「ガチ中華」の幅は広く、完全な「中国人向け」から「日本人も対象」と思われる店もある。中国人向けの店は東京の池袋、上野、高田馬場、新宿付近に多く、日本人も対象の店はそれ以外の場所にも広がる。最近では中国人が多い埼玉県、千葉県、神奈川県にもガチ中華料理店は拡大している。
近年、日本に移住してきた中国人の中には、在留資格の維持のため手っ取り早い手段として飲食業に乗り出す人がいる。業界では「誰も彼もがガチ中華に参入したので、全体の質が落ちた」との批判もあり、開店2〜3年以内に消える店も少なくない。
そんな中、「元祖ガチ中華」として高く評価されている店がある。30年以上にわたる人気店「陳家私菜(ちんかしさい)」だ。25年末現在、東京の銀座、新宿などで8店舗を展開している同店の経営者、陳龐湧(ちんばんゆう)さんに話を聞いた。
陳さんは62年、上海生まれ。父親は上海から近い江蘇省の寧波出身で、祖父は寧波で有名な財閥の一人であり美食家でもあった。幼い頃から祖父に可愛がられて育った陳さんも食に関心があり、料理の道へ。上海の老舗ホテルで中華料理の基礎を学んだ。
「80年代、上海からは欧米に留学する人が多かったのですが、映画『男はつらいよ』に感動した私は日本に行きたかった。88年の来日時には両親がお金とコメ、鍋、ふとんなどを持たせてくれました」
家賃3万円のアパートに住み、工事現場や清掃のアルバイトをしながら日本語学校に通った。日本語がある程度話せるようになってからは高輪プリンスホテル(現在のグランドプリンスホテル新高輪)などで皿洗いをしつつ、中華料理を学んだ。
「総料理長が作ってくれた賄い料理が美味しくて、自分もいつか立派な中華料理人になろうと決意しました。ホテルで捨てられていたパンの耳をかじってがんばりました」(陳さん)
日本人も受け入れる本場の味を目指す
陳龐湧さんは95年、東京・赤坂に中華料理店「湧(ゆう)の台所」をオープン。当時、四川料理と謳ったわけではなかったが、日本にわずかしかなかった「本場の味」にこだわった。
その頃、日本では四川省出身の陳建民さんが日本人向けにアレンジした料理が浸透しつつあった。中国では葉にんにくと豚肉、豆板醬などを使う回鍋肉だが、葉にんにくが手に入りにくい日本ではキャベツを代用したり、現地で食べる「汁なし担々麵」ではなく、日本人向けに「汁あり担々麵」が供されていた。
しかし、陳龐湧さんは本場の中華料理を日本人に知ってほしいとの思いからメニューを考案し、日本で最初に四川料理の「よだれ鶏」や山西省名物の「刀削麵」などを中国現地と同じ調理法で提供した。
今では日本の中華料理店の定番になっている「刀削麵」だが、時期が早すぎたのか、当時の日本人には受け入れられなかった。しかし、辛くて痺れる「麻辣刀削麵」を提供すると、これが大ヒット。かん水を入れない生麵を使用し、もちもち感を出す工夫をした。「本場の味」を意識しつつ、日本人に受け入れられるよう試行錯誤を重ねた。
「食材は日本のいちばんいいものを使いますが、香辛料は四川省産のものがよいと思い、現地の食品工場と提携しました。1年に何回か四川省に行き、自分自身で品質チェックと仕入れを行っています」(陳さん)
「陳家私菜」にはメニュー名に「元祖」とつく料理がある。「頂天石焼麻婆豆腐」「本場四川 皇帝よだれ鶏」「痺れる麻辣刀削麵」「頂天石焼麻婆刀削麵」「汁なし麻辣坦々刀削麵」「鉄鍋胡麻棒餃子」の6つだ。本場の製法や香辛料に独自のアレンジを加え、「ガチ」でありながら日本人にも受け入れられる味を追求している。
8店舗ある陳家私菜はチェーン店と誤解されるが、陳さんは、「店名が同じでもチェーン店ではありません。面接と実技テストをして採用したコックがそれぞれの店で調理しています。四川省出身者もいるし、他の地域の出身者もいます。キャリアが長いから腕がいいとは限らない。センスと努力、その両方がないと料理人としては失格です。料理人がよくなければお客さんは離れていくので、採用は厳しく行っています」という。
店が長く続いた理由は「顧客第一」だと陳さんはいう。
「お客さんが喜んでいる顔を見たい、美味しかったというシンプルな言葉がいちばんうれしい。以前、もっと手広く展開しないかという声がかかりましたが、私は断りました。中国人はお金儲けばかり考えていると思われがちですが、お客さんの期待を裏切らない料理作りをしてきたことが、店が長く続いた理由だと思っています」(陳さん)
「ガチ中華」ながら、顧客の9割は日本人。地道な努力が受け入れられたと考える陳さんは、「これからは日本に恩返ししたい」と何度も語った。
料理の地方が限定されない「創作アジアン」店

東京・末広町の中華「創作アジアン 琥珀」
東京・末広町の中華「創作アジアン 琥珀」の社長は祁倩さんという女性だ。知人に紹介され、何度か食べに行くうちに人懐っこい祁さんの身の上話を聞く機会があったが、改めて時間を取ってもらった。
チェーンや大型店ではなく、町中華でもなく、激辛のガチ中華でもないこの店は、東京メトロ銀座線の末広町駅から徒歩30秒の場所にある。内装はシックで、いわゆる中華料理店のイメージとは異なり洗練されている。
祁さんは上海生まれ、上海育ち。02年に来日した。12年に会社を設立し、13年からフランチャイズの中華料理店を東京・霞が関に開いた。80席ある店で10年近く繁盛したが、コロナ禍で状況が変わり閉店した。
現在の店は21年末に物件を紹介され、22年7月にオープン。当初、香港出身のコックがいたため、焼き鴨、叉焼など広東料理のほか、自身の出身地である上海料理、さらに日本人が好きな麻婆豆腐、エビチリ、小龍包もメニューに加えた。現在、コックはハルビン、上海、大連出身者がいて、さまざまな地方の料理を提供できる。
一つの地方料理に限定せず、創作料理もあるという意味で「創作アジアン」、オープンしたのが寅年で、自身も寅年生まれ、料理は琥珀色が多いことなどから、風水師の先生が「琥珀」と命名してくれた。
日本にはさまざまな中華料理があるといっても、同店は私たちがイメージする「何でも中華」とは一線を画す高いクオリティを誇る。その日、最も新鮮な魚や野菜を仕入れ、オリジナルメニューや新しい料理にも挑戦している。
SNSを活用して食材を調達する

琥珀の名物料理のひとつ、ワンタン
祁さんの店で私は、「今日のおすすめは?」「今日入荷した野菜は何? それはどういう調理法で食べるのがいちばんいい?」といつも聞くようにしている。昔住んでいた香港のレストランで、店員とコミュニケーションを取りながら料理を決めていくスタイルが好きだったからだが、日本では気軽に「その日の食材」などを聞ける雰囲気の店が少なかった。
メニューが決まっているので融通は利きにくいし、その日のメンバーの好みや体調に合わせて店員や店長とメニューを決めていくというスタイルに店側が慣れていないのが理由だ。
だが、祁さんの店ではそれが可能だ。
祁さんは関東や関西などにある中国人経営の農場で育てられた中国野菜を仕入れて、それを中国のSNSで紹介している。中間業者が存在せず、流通コストがかからない分、安くて新鮮な食材が手に入る。イノシシや鹿、熊の手などのジビエも知り合いの紹介で猟師などから購入する。在日中国人の経済ネットワークが日本国内に確立されていて、祁さんの店でも活用しているのだ。
鶏毛菜、茎レタス、紅油菜、菜心など、他の中華料理店ではあまり目にしない中国野菜もある。以前、私が食べた水餃子に入っていたナズナは祁さんが自ら畑で収穫したものだった。手作りワンタンも名物料理のひとつだ。
祁さんによると、オープンした当初は苦労が絶えなかった。
「いちばん大変だったのは従業員とのコミュニケーション。社長としての力量不足を感じました。コックを入れ替えるなど試行錯誤を繰り返すうちに、次第にお得意様が増えていきました。最近は中国人だけでなく、日本人のお客さんも増えています。距離が近い秋葉原からIT企業のお客さんが来てくださり、上野に近いという場所柄か、欧米人などインバウンドのお客さんも増えています。だから英語も勉強中です」(祁さん)
努力の甲斐あって24年頃から経営が軌道に乗り、顧客がついてきた。祁さんは「お客さんの要望に応えること、お客さんを大事にすることが商売の基本」と話す。





![「できるな!」と思われる 大人の酒席マナー術 [中華編]](/userfiles/images/article/china_top.jpg)



