「第13回 料理レシピ本大賞 in Japan」の料理部門に入賞した『長谷川あかりの「あたらしい」きほんの料理』。から揚げや肉じゃが、ハンバーグなど、おなじみの家庭料理を、長谷川あかりさんならではの視点で捉え直した一冊です。
本稿では、「きほんの料理」をどのようにアップデートしたのか、そしてレシピのアイデアはどこから生まれるのか、その発想の裏側を聞きました。
目指す「味のゴール」は変えず、そこへたどり着く道を変える

――入賞おめでとうございます!
【長谷川】ありがとうございます! 連載を書籍化したものなので、この本はじっくり時間をかけて作ることができました。編集さんがすごく細やかに管理してくださって、レシピのかぶりがないか、こういうレシピが足りていないんじゃないか、と全体のバランスを見ながら進めることができたんです。
デザイナーさんやスタイリストさん、カメラマンさんとも、連載を重ねるなかでどんどん仲良くなっていって。チームワークで今回の入賞につながったのかな、と感じています。
――本書には定番の家庭料理が多く掲載されています。そうした「定番」を新しく捉え直すことに、難しさはありませんでしたか?
【長谷川】編集さんがかなり自由にやらせてくださって、アクロバティックなことも受け入れてくださったので、楽しかったですね。
――一般的な作り方からすると、「そんな方法があるんだ」と驚くような工程もあります。こうした作り方は、どのように生まれているのでしょうか?
【長谷川】アクロバティックにするために、アクロバティックにしているわけではないんです。
作り方を変えた結果、想定していた味より下振れしてしまったら、あまり意味がないと思っています。「ただ楽になったけれど、それなりに味も落ちたよね」となってしまったら、わざわざ変える意味がない。
だから、目指している味は変えずに、そこへたどり着くまでの「道を変える」という感覚なんです。
例えば、道に詳しい人が「細い路地やヘンな裏道だけど、大通りを行くより渋滞がなくて早く着くよ」と教えてくれることがあるじゃないですか。それと似ていて、ゴールにたどり着くために合理的に考えた結果、その方法になった。そういう意味でのアクロバティックさはあるかもしれません。
――から揚げなどは「こんなに工程を省いていいんだ」と驚く一方で、肉野菜炒めに入れるもやしのひげは取るなど、一見すると省けそうな手間をあえて残しています。省く工程と残す工程には、どんな基準がありますか?
【長谷川】私の中には、「絶対にこのレベルまではおいしくあってほしい」という基準があります。それに、作り終わったときに「これだったら別に買ってきてもよかったな」とは思いたくないんです。手間をかけるなら、少なくともその手間以上のおいしさになってほしい。
もやしのひげを取るのは時間もかかるし、面倒ですよね。でも、取るだけで味のクオリティが上がるんです。それなら、かけた手間に見合うかな、と。もちろん、これは本当に私の独断と偏見なんですけど(笑)。
「ここまでアップデートしているのに、もやしのひげは取るんかい」と思われるかもしれません。でも私にとっては、「かけた手間に対して、どれだけのパフォーマンスが返ってくるか」がすごく大事なんです。
もやしについては、よく言われます。「もやしのひげは取るんだ」って(笑)。

「鶏のから揚げ」(『長谷川あかりの「あたらしい」きほんの料理』より 撮影/大森忠明)
――本書に掲載されているレシピの中で、特によく作るお気に入りの料理はありますか?
【長谷川】やっぱり、表紙の2色のから揚げは一番作っているかもしれません。本当に楽なので。
夏は豚肉の冷しゃぶがすごく人気ですし、これからの季節だったら豚汁もめちゃくちゃ作ります。でも、一つ選ぶなら、から揚げかな。
レシピのアイデアは「疑問と怒り」から生まれる
――長谷川さんのレシピには、意外な食材の組み合わせや、これまであまり見たことのない工程も多いですよね。
【長谷川】私が理想とするものは、すべての「中庸」にあってほしいんです。何かを全部否定したくもないし、かといって全部を肯定するのもしっくりこない。だから、新しい中庸を作りたい、という気持ちがあります。
中庸にあるものって、見る人の年齢や家族構成、これまで食べてきたものによって、見え方がすごく変わると思うんです。
私の料理も、「意外な組み合わせ」と言われることもあれば、「塩だけで味を決める」ことに注目されることもあるし、「変な味」と捉えられることもある。私の料理に対するイメージって、意外と一つではない気がしています。
――そうしたレシピのインスピレーションは、どこから来ているのでしょうか?
【長谷川】インスピレーションというよりは、「こうあってほしい」という願いに近いかもしれません。「面白くしてやろう」とか、「ここは絶対に簡単にしよう」と思って作ることは、あまりないんです。
むしろ、私の文句みたいなものから始まることが多くて(笑)。「なんでこれをこうしなきゃいけないんだろう」とか、「もっとかわいくできる気がする」とか。「この彩り、別にいらないかも」「この"意思なき具材"はいらないかも」「一回取り出さなくても、よけておけばいけるかも」...とか。
そういう疑問に近いものが、レシピにつながることは多いですね。
――「もっとこうできるのでは?」という疑問が出発点なんですね。
【長谷川】そうですね。疑問とか、怒りとか(笑)。「なんで?」みたいな気持ちは、常にあるかもしれないです。
「私はこれを選びます」と言えることが、料理の自由につながる
「ビビンバ」(『長谷川あかりの「あたらしい」きほんの料理』より 撮影/大森忠明)
――長谷川さんの料理には、「料理はこうでなければいけない」という固定観念に縛られない自由さを感じます。どうしてそのようなスタンスで料理を作れるのでしょうか?
【長谷川】「自分と他人は違う」と、はっきり認識できるようになったことが大きいかもしれません。
私の料理って、万人受けするものではないと思っているんです。だから、こんなにいろいろな人に作ってもらえていることが、自分ではちょっと不思議なくらいで。
もちろん、できるだけ多くの人においしいと思ってもらえるようには考えています。でも、私自身が好きだと思う味をかなり頑固に曲げていないので、合わない方は絶対にいると思うんです。
でも、私の料理が口に合わないからといって、その人が悪いわけでは絶対にないですよね。逆に、すごく好きだからどうということでもない。味覚や食の好みって、人によって相当違いますから。
それはご飯だけではなくて、すべてのことに対してそう思えるようになりました。
「私はこれが好き」と「あの人はセンスがいい/悪い」は、本来まったく別の話なんですよね。自分の『好き』を正しさに変えて誰かをジャッジしてしまうと、誰かの好みも、そしていつか好みが変わるかもしれない自分自身も、許せなくなってしまうような気がします。それぞれ違っていいと思えるほうが、きっと心地いいはず...。
私自身にもそういう経験があったので、自己と他者が分けられていないと、少し苦しくなることもあるんじゃないかなと。
そこが分かれてからは、「私はこれがすごく好き。でも、合わない人もいると思う。ごめん」という気持ちで作れるようになりました。自分と他人は違うんだと理解してから、自由になったのかもしれないですね。
この本も「きほんの料理」という名前がついていますけど、どこまでいっても「私が思う、私のきほんの料理」なんです。編集さんから「このメニューは入れた方がいいんじゃないですか」と言われても、私としては「私はそれを"きほんの料理"とは認めない」「これはきほんから外したい」というものも結構ありました。
すごく自由だけど、同時に「私はこれを選択します」と大きな声で言っている本なんです。
他人のレシピだから出会える「知らなかったおいしさ」
「豚しゃぶ鍋」(『長谷川あかりの「あたらしい」きほんの料理』より 撮影/大森忠明)
――自分では普段作らないような味でも、長谷川さんのレシピを作ってみて初めて、「こういうおいしさもあるんだ」と気づくことがあります。
【長谷川】海外で初めて食べる料理って、食べたことがないから最初は理解が追いつかなくて、「まずくはないけど、おいしいのかもまだよく分からない」みたいなことがあるじゃないですか。でも、それが意外とだんだん癖になっていったりしますよね。
私の料理にも、そういう立ち位置のものは結構あると思っています。この本に載っているものは、比較的丸いというか、万人受けするほうだとは思いますけど。
でも、今おっしゃってくださったように、海外で新しい料理を食べて新しい味を知るように、誰かのレシピを通して、それまで知らなかった味に出会うことってあると思うんです。
そうなると、「他者のレシピを借りる」意味って、すごくあるじゃないですか。私のレシピも、そんなふうになれたらいいなと思っています。
(取材・執筆:PHPオンライン編集部 小林実央)







