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石破茂 憲法を、取り戻す。

石破茂

2013年07月04日 公開 2021年01月13日 更新

こうして選挙に臨む

わが党の立党の原点は自主憲法の制定ですが、憲法改正は最終的には主権者である国民の判断に委ねられるものです。われわれ国会議員ができるのは「発議」だけであって、実際に改正権を持つのは国民です。

96条改正は、憲法の中身の議論ではなく、国民の権利行使を実効性あるものにするための手続きに関する議論です。

9条や統治機構のあり方など、個々の中身についての自民党の考え方はすでに示しているのですから、「手続き論でごまかして9条改正をしやすくしているのだ」という批判はむしろ本末転倒だと思います。

「連立を組む公明党との関係はどうするのか」

という質問もよくありますが、そもそも政権課題は憲法改正だけではありませんし、自主憲法の制定を立党の原点にしているのはわれわれ自民党なのですから、

他の政党に対して、連立を組んでいようがいまいが、説明を地道に着実に行い、議論の成熟を促すべきはわが党の責任だと思っています。

われわれは正々堂々と「憲法改正」を訴えてきましたし、これからも、今夏の参院選でも訴えていきます。

しかし、憲法改正は唯一無二の争点ではありません。事実、夏の参院選では、経済政策やTPP、社会保障、財政再建などの課題も問われることになるでしょう。

 

主権者の手で憲法を取り戻せ

憲法改正の実現は容易ではありません。なぜなら、あくまでも現行の改正手続きを経る必要があるからです。

それをよく分かったうえで、あえて「憲法改正」を訴えているのです。われわれはハードルが高いからといって、逃げたり、怯んだり、立ち止まったりせず、真正面から臨みます。

果たして私たちが、ハードルを乗り越えることができるか否か。それを決めるのは、まさに憲法制定権力を持つ、主権者たる国民の皆さまなのです。

先日、国会内において高校生による政治討論会が行われ、他党の代表とともに挨拶をする機会があり、私は哲学者・田中美知太郎氏の言葉を紹介しました。

《日本では主権在民などと言いますが、一向に主権在民ではない。いわゆる市民というものは主権者になり、国家全体のことを考え、みんなのために政治を本当に考える立場にあるのに、「こうしてくれ」とか「ああしてくれ」とかわあわあ騒ぐだけです。

「生活が苦しい」とか「月給を上げろ」とかそんなことばかり言っている。こんなことを言うのは決して主権者ではない。これは……してもらう方ですから、臣下臣民、サブジェクト、家来の立場です。

人民が主権者であるならば、自分がもし国家の立場に立ったらどうするか、ということを絶えず考えなければならない。》(「日本人と国家」『人間であること』文藝春秋)

相当に刺激的な言葉ですし、強い反発を買うことも必至ですが、事の本質を突いていることもまた確かです。ちなみに、こう続きます。

《ギリシアにおいて、市民は国政に参加してそれぞれの公職につき、国家のために働くという資格を持っているからこそ市民なのです。「ああしてくれ」「こうしてくれ」というのは市民運動でもなんでもない。こういうのは奴隷志願運動というべきです。》

われわれは、国家権力の「家来」ではありません。「奴隷」でもありません。この国の「市民」であり「主権者」なのです。「自分がもし国家の立場に立ったらどうするか、ということを絶えず考えなければならない」存在なのです。

どうか、皆さんも一緒に考えてください。憲法改正は、政治家だけの話ではありません。主権者たる国民自身の問題なのです。

憲法改正とは、「主権者たる国民の手で、憲法を取り戻す」ということでもあるのです。

 

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