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教育NGOトップが解説する「ゆとり世代の愛国心」

税所篤快(国際教育支援NGO「e-Education」創業者)

2014年08月19日 公開 2023年01月19日 更新

教育NGOトップが解説する「ゆとり世代の愛国心」

ガザ、バングラデシュ、そして、ソマリランドで気づいた。訪れる者がいない辺境の土地なのに、日本人はたしかに尊敬されている。「日本に生まれて幸せだ」――世界を股にかける平成元年生まれの若手起業家は、心の底からそう感じる瞬間に出会った。箱庭にいるだけでは気づくことができないホンモノの「愛国」のかたちとは。

※本稿は、税所篤快著『ゆとり世代の愛国心』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです。

 

ゆとり世代は日本を恨んでいるのか?

今、この文をアフリカ北東部ソマリランドの首都ハルゲイサで書いている。僕の名は税所篤快。平成元年生まれの25歳。バングラデシュを拠点に活動する教育NGO 「e-Education」を立ち上げ、代表を務めてきた。

僕たち平成生まれは「ゆとり世代」と呼ばれる。いちおう説明すると、「ゆとり世代」とは2002年に改訂された学習指導要領に沿って教育を受けた世代を指し、おもに1987年から2003年生まれが該当する。いま小学生以下の子供たちを除き、平成生まれはもれなく「ゆとり世代」ということになる。

そのイメージはすこぶる悪く、上の世代から「内向き」「草食系」「コミュニケーション能力(コミュ力)が低い」「打たれ弱い」など、ありとあらゆる悪口を言われてきた。

とくに団塊の世代からは「俺たちの時代はいい時代だった」「いまの若者は閉塞感に覆われた時代に生まれてかわいそう」と、憐憫と自己愛が入り混じったコメントを面と向かって投げかけられたことも、1度や2度ではない。

そんなことを言われつづけたら、しだいに希望を失い「内向き」「草食系」になっても当たり前じゃないか。でも、僕たちはそんなに悪い国、悪い時代に生まれたのだろうか。平成生まれって、そんなにかわいそうな世代なのだろうか。

冒頭でも書いたとおり、僕はいまソマリランドにいる。高野秀行さんの著書『謎の独立国家ソマリランド』(本の雑誌社)で紹介されているように、現代の秘境と言っていい。ここは「リアル北斗の拳」国家であるソマリアの北部にある「ラピュタ」と呼ばれる未承認国家だ。

ところが、日本のパスポートをもっているだけで、僕のような名もなき若輩者でも簡単にビザを取得することができる。まさに菊の御紋のパスポートは「世界最強」である。いまでは日本人が入れない国を見つけるほうが難しいくらいだろう。

ところで、この文章を書くかたわら、6時間の時差を飛び越え、僕は日本の友人たちとLINEで会話を楽しんでいる。ソマリランドにいながらプライベートの旅行の予定を立て、「じゃらん」で宿の予約がとれる。

同時にフェイスブックの画面を開き、バングラデシュのベンガル人のパートナー、マヒンにベンガル暦の新年ポヘラ・ボイシャクのお祝いをメッセージで送った。ワシントンが午前十時になったので、世界銀行の野村さんとスカイプで進捗確認もできる。

僕たちは国境や時間変更線を飛び越えて活動することができるのだ。だから、先はどの問いに対する僕の答えはこう。

僕たちは、すばらしい国、すばらしい時代に生まれた。僕たちほど世界で自由を謳歌できる世代は、いままでの日本にはいなかった。

海外で活動していると、世界じゅうで日本人であることの恩恵を感じることができる。たとえばタクシーに乗ったとき、ドライバーから「おまえは中国人か、韓国人か。それとも日本人か」と聞かれることが多いのだが、「日本人だ」と答えると、「日本人か! おまえたちはナイスだ!」と満面の笑みを返してくれる。

途上国の人々にとっては、戦後の焼け野原から力強く復興した日本は、いまでも驚異の存在であり、自分の国が参考にできる点はないかと貪欲に学ぼうとしている。

僕の師匠、一橋大学教授の米倉誠一郎先生はインド、南アフリカなど世界各地でプレゼンテーションをするとき、東京の焼け野原の写真から始める。上野から東京湾にかけて焦土が広がり、国会議事堂だけがぽつんとその姿を見せている。

そのあとに、モダンなビルが緑に囲まれている現在の東京の写真が続くと、会場はどよめく。「なぜ日本はゼロから世界ナンバー3に駆け上がれたのか」。こんなに底力のある国は、世界のどこを探しても存在しない。

こうした評価はとくにバングラデシュで強い。ODA(政府開発援助)やJICA(国際協力機構)の関係者が数多く国際貢献活動に取り組んでおり、現地の人から「あの橋をつくったのは日本人なんだろ?」と、さも当たり前のように言われたこともある。

1971年にバングラデシュが独立した際、世界に先駆けて日本が独立国として承認したことも、彼らを親日家たらしめている理由。国際貢献活動の目的の1つは、自分たちの国のブランド力を高めるところにあると僕は思う。ことバングラデシュに関しては、その戦略が非常にうまくハマっているのだ。

もちろん僕自身も、海外にいるときに何度、日本のすばらしさ、力強さを実感したかわからない。

洪水に浸るバングラデシュの首都ダッカで、日本の都市計画の緻密さを。険しい山間部を進むルワンダの路線バスで、日本の新幹線の快適さを。F16戦闘機の飛行音が鳴り響くガザで、日本の平穏さを。貧困にあえぐロマ族(ジプシー)を数多く抱えるハンガリーで、日本のセーフティネットの手厚さを。自国の通貨が崩壊している国コソボで、円の世界的強さを――。

そのとき僕は、素直に、日本のことを「すごい」と思った。「好き」だと思った。「愛しい」と思った。海外でプロジェクトに取り組む仲間に聞いても、みな口々に同じことを言う。これこそが僕たち平成生まれの、リアルな「愛国心」である。

忘れてはならないのは、僕たちがこうした想いを抱けるのは、先輩世代の長年にわたる、とてつもない努力と貢献のおかげだということ。そのことを認識し、感謝しないことには、海外で日の丸を背負って活動する資格はないと思っている。

ところが一方で、輝かしい日本ブランドにも危機が迫っている。日本人のまじめで謙虚な活動が、好敵手・中国の圧倒的な人海戦術の前にかき消されようとしているのだ。ODAやJICAなどの援助活動は、中国人ビジネスマン・労働者のあくなき進出によって風前の灯となっている。

ソマリランドに向かう際の経由地、エチオピアの首都アディスアベバは「アフリカの首都」ともいえる発展した都市。僕の目には、ここが「中国のアフリカ進出基地」に映った。

現在、建設中の国内最初の地下鉄は、中国企業が請け負ったものである。それだけではない。多くの公共施設、公道が中国政府による援助によってつくられている。アフリカ連合(AU)本部のモダンな高層ビルでさえもそう。じつは、ルワンダの国際空港やソマリランドの幹線道路も、中国人の手によってつくられた。

先ほど述べたとおり、アフリカで「自分は日本人だ」と言えば、現地の人たちは諸手をあげて歓迎してくれる。だが、このリアクションは長くは続かないかもしれない。彼らアフリカ人が、表向きは日本人に対して尊敬の態度を示しながら、心の中で「日本人より中国人のほうが大切なパートナーだ」と思っていても、なんら不思議はない。

ときには中国人に対して露骨な嫌悪感を見せるアフリカ人にも会ったが、それは中国人が現地で存在感を発揮していることの裏返しにほかならない。アディスアベバには1万人以上の中国人か住んでいる。

それに対し、日本人の在住者はわずか200人程度。しかも前者の多くがビジネス目的で来ている一方、後者は国際協力活動や大使館の関係者が大勢を占め、ビジネスマンはほとんどいない。これは、世界のあらゆる地域で起きている現象なのだ。

だから僕たち平成生まれは、僕たちらしい戦い方で、世界に日本の存在感を示していかなければならない。それはきっと、事業を通じて社会問題の解決をめざす「社会起業家」的なアプロ-チなのではないだろうか。社会的なインパクトを現地にもたらし。あらためて日本のすごさを実感してもらう。これこそが、僕たち平成生まれの「愛国心」の示し方だと思う。

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