「空気を読む」という言葉が浸透しているように、日本では“察する”ことが美徳だと考えられ、日本人は個人の怒りや感情を表現するのが苦手だといわれている。それ故に、本来は怒らなければならない場面でも、我慢してしまう。
なぜ、日本人は怒れないのだろうか?哲学博士の中島義道氏に、詳しく聞いた。
※本稿は、中島義道著『怒る技術』(PHP研究所)より、一部抜粋・編集したものです。
怒れない人とキレる人
現代日本には「怒らない人」がうじゃうじゃ生息しています。老若男女、前後左右、突如ぶん殴られても怒らないであろうような柔和な顔、顔、顔の氾濫。私はぞっとしてきます。
大学でも、私が主宰する哲学塾でも「先生、怒ることができないんです」という訴えは少なくない。そう現に訴えないまでも、実際に怒らない、怒れない青年たちの群れです。
しかし、その反面では、どうしたのかと思うほどささいなことでキレる青少年が蔓延している。私の仮説によりますと、両者は無関係ではない。むしろ車の両輪のような深い関係にあります。
怒ることを丹念に学んでこなかったから(学ぶ機会がないから)、体内に怒りの渦が巻きあがるとき、どうしていいかわからない。罵倒することも学んでこなかった。相手を屈辱的な目に遭わせる仕方も学んでこなかった。
まして、冷静に抗議する仕方はだれも教えてくれなかった。こんな状況にあって、どうにも自分をもちこたえられなくなると、ただひたすらキレる。
彼(彼女)は怒りが自然な人間的感情であるということを学んでこなかった。怒りとは、こういう環境に育った子にとっては、生理的な抑圧の対象でしかない。
だから、怒りが体内に発生するとき、ひたすら抑え込むことしかできない。それが、もはやできないとき、彼(彼女)は怒りを自然現象のようにただ爆発させるだけなのです。
いいでしょうか。怒る技術を学ぶことは、効果的に怒る技術を学ぶこと、つまり怒りを爆発させるのではなく、冷静に計算して相手にぶつける技術を学ぶことなのです。
ヨーロッパ人と大和民族の“怒りの違い”
こういう私も、じつは小学校・中学校・高等学校を通じて怒らない子、いや怒ることができない子でした。喧嘩は一度もしたことがない。罵倒もしない。
そのかわり、カッとなると、大切に組み立てた東京タワーをぶち壊したり、苦労して収集した記念切手をすべて破ってしまったり、時折キレた。
たいそう不安定な精神状態でした。こうした状態は大学生になっても続き、何をしていいかわからず、12年も大学にいて、そのうち2年ほどはひきこもっていました。しかしそのときでさえ、真の意味で怒ることはなかったのです。
私が怒りを修行したのは、30歳で大学から放り出され予備校教師を2年半勤めたあと、じつに33歳でひとりウィーンに飛んでからのことです。
ウィーンでは、私は怒らなければ生きていけなかった。ウィーンは前世紀のヨーロッパの悪いところがすべてそろったところで、(少なくとも30年前は)能率は悪く、官吏はいばっていて、しかも無能。カフカの世界そのものであった。
大学の事務局でも市役所でも、事務員たちは勝手なことを主張する。しかも、高圧的に。その8割がまちがっているのに。こうした状況に投げ込まれて、私費留学生としての私は、自分が生きていくために、ほんとうは怒っていなくても、怒っているようにふるまわなければなもなかった。
相手を執拗に責めることによって、自分の正しさを浮き立たせなければ、生きていけなかったのです。こうして、気がつくと、私はウィーンでは四六時中烈火のごとく怒っていました(このことについては『ウィーン愛憎』中公新書を参照)。
同時に、彼らと互角に戦おうとして、私は熱心にヨーロッパ人を観察しました。私がどんなに怒っても、彼らの「怒る力」には及ばない。彼らはなんとまあよく怒ることかと驚きましたが、しだいに明らかになってきたのは、彼らの怒りの表出の仕方がわれわれ大和民族のそれとはだいぶ違うということ。
ここで彼らの怒り方の特徴に関して思いついたことをピックアップしてみますと、次のようになりましょう。
(1)すぐに怒りを表出すること。
(2)以前の怒りを根にもつことが少ないこと。
(3)怒りははげしく、しかしただちに収まること。
(4)怒りの表出が言葉中心であること。
(5)個人的に怒ること。
(6)演技的な怒りであること。
これらは、そのまま理想的な怒り方の目安となります。私は4年半ウィーンに滞在して、日々このすべてをシャワーのように浴びせかけられ、帰国したとき、並みのヨーロッパ人以上に「ヨーロッパ的怒り」を体得していました(とはいえ、あまりにも熱心に習得したものですから、彼らほど自然体ではないのかもしれない)。
とにかく、ヨーロッパ体験を通じて私は「怒らない男」から「怒る男」に大変身していたのです。