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生き方

なぜ日本人は怒れないのか?個性を縛る社会で「自分を取り戻す」方法

中島義道(哲学博士/哲学塾「カント」主宰)

2014年11月20日 公開 2023年01月23日 更新

 

個人語をつぶす日本社会

ところで、冷静に周囲を眺めてみますと、わが国で進行している「言葉をつぶす運動」にはすさまじいものがある。とくに「個人語」をつぶし「世間語」に置き換えようとする大がかりな運動がまかり通っている。

こうした結果、人々はみな同じ言葉を同じ口調で語る。少しでも気まずいと、たちまち口を閉ざし、「知らぬ、存ぜぬ」の一点張り。それぼかりか、固有の言葉を語り出す人を「ジコチュー!」とか「無礼者!」と言って排除する。

いや、もっと巧妙で「あなたには思いやりがない」とか「ひとを傷つけないように」とか「もっと言い方に気をつけて」という「やさしい」言葉をふんだんに振りかけて個人語をこなごなに粉砕しようとする。

現代日本に進行しているこういうすさまじい弾圧のもとに人々は言葉を奪われるとともに、固有の感受性も奪われている。

その典型は怒りを奪われているということです。怒りとは個人のあからさまな表現ですから、ぶっそうなものであり、他人と対立を呼び起こすものであり、抑え込むにかぎる。

こうして、多くの人は人間として、いや生物として怒りを当然発すべきときにも発しない、いや発することができない、という症状に陥っている。だれも怒らない。

そして、だれかが怒りそうになると、みんなでそれを必死になだめようとする。怒ったらもう負けだ。と言わんばかりに、非難の目で見る。

こういう空気の中に適当に自分を合わせていけるたくましい人は、それでいいのです。善良な市民のように、感受性も思考力も麻痺してしまい、しかもそのことに気づかず、みんなと同じであることに無性に喜びを感じている輩なら生きていけるのです。

 

怒ることが必要な人々

しかし、あまりにも繊細であまりにも要領の悪い人がいる。こうした文化の犠牲者である彼らは、怒ることができないために、苦しんでいる。といって、いまさら怒れば、もっと苦しむでしょう。

いや、怒ろうとしてもどうしていいかわからない。彼らは怒り方を学ばなかった。怒ってはならないことばかり教えられた。こういう悲惨な犠牲者です。

私のもとには、こうした犠牲者から多くの手紙が来ます。しかも、そのどれもが似ていて、他人とうまく人間関係が築けず、恐ろしく消極的であって、ひとから何をされてもどうしても怒れない、というもの。

こうした手紙をいくつか紹介しながら論を進めていくことにします。とはいえ、プライバシーもありますので、1つの手紙を2つにいやさらに多くに分割したり、2つのいやそれ以上の手紙を1つの手紙に合成したり、職業や年齢や状況を適当に変えたりして、紹介することにします。

つまり、手紙の文面はほとんど私の創作となっています。でも、その背後には、膨大な私に向けての現実の叫び声があること、このことを知ってもらいたいと思います。

こうした空気の蔓延している現代日本において、怒る技術を習得することは容易なことではありません。しかし、難しいからこそ、あなたにとって一生をかけてでもやるだけの値打ちのあることなのです。

さあ、きょうから怒れる「からだ」に自己改造しましょう。そして、豊かな人生を取り戻しましょう。

 

【著者紹介】中島義道(なかじま・よしみち)
1946年生まれ。東京大学人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学哲学科修了。哲学博士。2009年、電気通信大学教授を退官。現在、「哲学塾カント」を主宰。著書は『ウィーン愛憎』(中公新書)、『「時間」を哲学する』(講談社現代新書)、『悪について』(岩波新書)、『孤独について』(文春文庫)、『「死」を哲学する』(岩波書店)、『私の嫌いな10の言葉』(新潮文庫)など多数。

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