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生き方

松下幸之助さんは、神ではなく、人間だった

谷井昭雄(元パナソニック社長/元特別顧問)

2014年11月20日 公開 2024年12月16日 更新

《『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2014年11・12月号Vol.20
特集 「生誕120年 松下幸之助 経営者としての凄み」より》

 

パナソニック歴代社長の中で、最も「忍耐の時代」を生きたとされるのが、4代目社長の谷井昭雄氏だ。途中入社で松下の一員となり、初めて創業者・松下幸之助と言葉を交わしたのは33歳のとき。その四半世紀後、幸之助が逝去したときに社長を務めていたのも谷井氏だ。創業者のそばで、その一挙手一投足を見てきた4代目は、はたしてどんな「凄み」を目の当たりにし、何を受け継いだのか。

 

<取材・構成 高野朋美/写真撮影:槻ノ木比呂志>

 

創業者との出会い

 私が松下電器(現パナソニック)に入社したのは、昭和31(1956)年、28歳のときでした。精密機械の技術者だった私を、昔なじみの先輩が引っ張ってくれたのがきっかけです。

 ちょうど松下電器は、電器の分野だけでなく、もっと幅広い商品を開発していく過渡期にありました。だから私のような人材が必要だったのでしょう。入社してわずか5年で松下幸之助創業者と言葉を交わせたのも、私が新しい分野の商品に携わっていたからだと思います。

 私が開発していたのは、テープレコーダー。当時、この分野はソニーが圧倒的に強く、松下電器は後発組でした。事業部も小さく、途中入社して日の浅い私が、技術の責任者をやっているような状況でした。

 あるとき、上司である録音機事業部長が、「谷井君、これから松下会長(当時)に報告に行く」と言われました。報告というと、普通は売上報告か何かだと思いますが、あのころの松下電器は、創業者に新商品を見せに行くのが〝報告〟でした。

 幸之助さんという人は、自社の商品にもの凄く関心の高い経営者でした。何より、商品がお好きだったのだと思います。だからどこの事業部長も、だれに指示されたわけでもないのに、商品が出来上がると真っ先に幸之助さんに見せにいっていました。

 私は入社5年目の新米でしたが、開発責任者として、事業部長に同行しました。商品はまだ試作段階だったので、完全なテープレコーダーではありません。ほんとうにバラックみたいな外見でした。それを持って、会社のトップに会うわけですから、それはもう緊張しました。

 コンセントをつなぎ、試作品をセットして、うまく動いてくれよと念じながら横で控えておりました。創業者は入ってくるなり試作機を見て、まず商品を褒めてくれました。「いいのができたな」とニコニコしながら。まだ使ってみてもいない、バラックみたいな商品を褒めるんです。そして、まるでわが子をかわいがるように、自分の手で触れて、持って、動かしておられました。

 「きみ、商品を抱いて寝たことがあるか」。このとき、私が幸之助さんに言われた言葉です。もう1つ、こんなこともおっしゃいました。

 「今はどこの会社や工場でもよい商品をつくろうとして、品質管理を一生懸命に勉強している。でも、それよりもっと大事なのは、きみ、人質〈じんしつ〉管理やで」

 私が最初に創業者からいただいた「教え」でした。商品は会社にとって命であり、すべての根幹であること。そして、ほんとうに大切なのは、品質管理よりも人材の管理、すなわち人質管理であること。人質管理とは独特の表現ですが、私に分かりやすく説明するために、そうおっしゃったのでしょう。

 事業には重要なことがたくさんあるけれど、いちばん大切なのは人の質。松下電器は、電気製品をつくる前に、人をつくる会社なのだ。これを、人質管理という言葉に込められたのです。

 相手に合わせて、その人が理解できる言葉で、変わることのない基本を伝えていく。そこが経営者・松下幸之助の凄さだと思います。

 

神ではなく、人間だった

 幸之助さんはよく「経営の神様」と言われます。それはご自身が持って生まれたものが根にあると思いますが、その後の大きな精進努力で築かれた「人徳」がベースにあったからこそ、そう讃えられたのだと思います。

 私が初めてテープレコーダーの試作品を持っていったとき、幸之助さんはみずから創設したPHP(PEACE and HAPPINESS through PROSPERITY=物心両面の調和ある豊かさによって平和と幸福をもたらそう)の研究活動を熱心にやっておられました。そのときもPHP研究の道場とされていた、京都東山にある別邸真々庵で研究会をしておられて、座敷の鴨居には、研究会のテーマが掲げられていました。そこに書かれていた言葉は「素直な心」。今でもはっきり覚えています。「素直な心は、あなたを強く正しく聡明にいたします」。折に触れ幸之助さんが言っていた言葉ですが、なぜあれほど繰り返しおっしゃったのか。そこに「人間・松下幸之助」を見る思いがします。

 私は、経営の神様は神だったわけではなく、一人の人間だったのだと思っています。もし、ご自身がほんとうに素直な心になれていたら、あんなに何度もおっしゃらなかったでしょう。自分がなれないから言い続けた。でもそこが大事なのです。

 出世して偉くなると、部下にはいいことを言うけれど、自分はやらない人がずいぶん出てきます。でも幸之助さんは、「素直な心になる」を自分に言い聞かせることで、慢心に陥る己を厳しく律したのだと思います。「自律謙虚」。自分を律することにはきわめて厳しい人でした。そして「思いやり・配慮」がすばらしかった。物事を「徹底」する姿勢も貫いておられた。この3つが、幸之助さんの人徳だと、私なりに思っています。

☆本サイトの記事は、雑誌掲載記事の冒頭部分を抜粋したものです。

 

<記事掲載誌>

PHPビジネスレビュー松下幸之助塾 
2014年11・12月号Vol.20

 11・12月号の特集は「生誕120年 松下幸之助 経営者としての凄み」
 松下幸之助がこの世に生をうけたのは、明治27(1894)年11月27日。今年は生誕120年にあたる。今日の日本において松下の存在は、特に中小企業の経営者にとって依然、色褪せてはいない。幼くして生家は没落し、小学校中退で丁稚奉公に。健康に恵まれず、若くして親きょうだいをすべて亡くすという境遇。そのような人間が経営者として成功しえた理由はどこにあったのだろうか。
 本特集は、その松下幸之助の経営者としての本質を、直接教えを受けた部下たちの証言から考えてみる。語られるエピソードをとおして、その経営者としての凄みを感じてみたい。
 そのほか、エイチ・アイ・エス会長の澤田秀雄氏の幸之助論や、キヤノン電子社長の酒巻久氏、日本マイクロソフト社長の樋口泰行氏の実践経営論も、ぜひお読みいただきたい。

 

 

BN

 

著者紹介

谷井昭雄(たにい・あきお)

パナソニック特別顧問、元社長

1928年大阪生まれ。48年神戸専門学校(現神戸大学工学部)精密機械科卒業。敷島紡績(現シキボウ)、東洋金網(現トーアミ)を経て、56年松下電器産業(現パナソニック)入社。70年録音機事業部長、72年ビデオ事業部長。79年取締役に就任後、常務、専務、副社長を経て、86年山下俊彦社長に代わり第4代社長に就任。また公益財団法人霊山顕彰会理事長、特定非営利活動法人大阪府日本中国友好協会理事長、日中経済貿易センター会長、名誉会長などを歴任。

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