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真田幸村・大坂冬の陣に参戦、いざ出立!

高橋直樹(作家)

2014年12月19日 公開 2022年06月06日 更新

 

 右衛門に戸惑いの表情が浮かぶ。

 「どうしたのじゃ、おやじ殿」

 角八はその右衛門の前で身じろぎもしない。

 「せがれ、おかしいと思わぬか」

 角八が観音扉の陰にうずくまる刺客の亡骸を示す。

 「この刺客、若殿が亥の刻に看経を務める習慣を知っていた。それだけではない。迷路のようなこの真田庵に忍び込みながら、迷いなく御霊屋を探し当てておる。誰ぞ手引きする者がいなくてはかなわぬことぞ」

 「待ってくれ、おやじ殿」

 困り果てたように右衛門が応じる。

 「おやじ殿の言うとおり、この真田庵に刺客を手引きする者がいたとしても、なぜそれがおれだと決めつけるのだ」

 この場には他に浪合七郎も小田切与助もいる。すると角八はまなじりを吊り上げて、右衛門を一喝した。

 「おろか者めが。うぬ、此処へ参ったとき、何とぬかした」

 うかつに口を滑らせたことに気がつき、右衛門が沈黙する。その右衛門の前で、角八が槍の石突きを庭の暗がりに突っ込み、そこに落ちていた半弓を槍柄で拾い上げる。

 「せがれ、おまえは『若殿が半弓をかわした』と言った。だがおまえが駆けつけたとき、すでにこの半弓は投松明の光が届かぬ場所に落ちていた。おまえ、どうして曲者の道具が半弓だとわかったのだ」

 槍柄に掛かった半弓が、右衛門の鼻先に突きつけられる。これを見た幸村が、父子を引き離そうとして、角八の槍柄をつかんで押し戻した。

 「角八、やめろ、やめるんだ」

 幸村は右衛門を逃がそうとしている。その心を知った角八が、我知らず眼を伏せた。

 隙が生まれた。角八ではなく幸村に。

 次の瞬間、右衛門の腰刀が抜く手も見せずに幸村の眉間めがけて飛んだ。すばやく右手の脇差で幸村はこれを受け止めた――つもりだった。鋭い痛みが目の上に走る。受け止めるのがわずかに遅れ、右衛門の切っ先が幸村の額まで届いたのだ。

 右目に血が入った幸村が、懸命に右衛門の刀を押し返す。

 ――失せろ。

 と、伝えていた。だがすでに頭に血がのぼっていた右衛門は、良き従者の仮面をかなぐり捨てて荒い吐息で幸村に迫る。

 「やめろ、右衛門」

 角八が叫んだ。悲鳴のようになってしまった。

 「この親不孝者」

 再び叫んだ角八が、最初の失態を恥じるように、抱えた槍を右衛門の背中へ繰り出した。迷わずに繰り出した。確かな手ごたえが角八の両腕に跳ね返り、ぐっとこらえてさらに穂先を繰り出すと、串刺しにされた右衛門が骸となって転がった。

 親が子を成敗した。一部始終を見届けた浪合七郎と小田切与助が、いたましげに角八を見やった。角八は2人の眼ざしに気づかぬふりをして、いまも投松明の光に照らされている刺客の亡骸を、息子の血が滴る槍先で示した。

 「この曲者は右衛門の一味。ただちに正体を探らねば」

 右衛門とその一味の背後に誰がいるのか。皆の面持ちに緊張が宿る。

 ――いまは大事な時だ。

 幸村と真田の手の者たちは、密かに大坂参陣を決めている。もし右衛門が幸村の大坂参陣を幕府に密告しており、この刺客が幕府もしくはその意を受けた浅野家から放たれたのであれば、すでにこの真田庵も敵に囲まれているかもしれない。

 角八が刺客の亡骸から、その顔を覆った覆面をむしり取る。おや、と身を乗り出してきたのは小田切与助である。

 「与助、見覚えがあるのか」

 幸村が尋ねると、

 「こやつ、林甚助のせがれでは」

 意外な名が与助の口から出てきた。林甚助とは、かつて武田信玄が飼っていた殺し屋の名である。甚助の名を口にした小田切与助もまた、その父は同じく信玄の殺し屋だった。

 与助、と春原角八が刺客の亡骸を示して尋ねる。

 「これなる林甚助のせがれ、徳川に仕えた形跡はあるのか」

 「ございませぬ。まったくの野良犬にござる」

 そう答えた与助に自嘲の笑みが宿る。

 ――この小田切与助と同じだ。

 と言外に肩っていた。小田切与助の父も林甚助の父も、武田滅亡のときに、徳川に仕え損ねた輩だった。

 「野良犬は餌を横取りされまいと、いつも血まなこだ」

 角八がつぶやく。やや安堵した面持ちだ。野良犬ならば決して他の者に、標的の情報を漏らしたりはしない。一味は幸村の首を挙げた後に、これを京都所司代にでも持ちこむ腹であったのだろう。

 なれど、と与助と浪合七郎が角八へ声を揃えた。

 「真田の大坂参陣が知られるのも時間の問題かと。今夜ただちに此処を出立すべきかと存ずる」

 これを聞いて、角八が幸村を仰ぐ。幸村も大きくうなずいた。

 「今夜、出立だ」

 与助と七郎がただちに飛脚篝の用意にかかる。九度山から放たれた合図の篝火が、その先へ連なる高野、熊野、吉野の山々へ、光の尾を引くように送られていった。

<『真田幸村と後藤又兵衛』p16につづく>

 
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