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兵は詭道なり!家臣を心服させた姫若子の初陣~長宗我部元親の野望



2010年11月08日 公開

永岡慶之助(作家)

長宗我部元親

世の武将の多くが祖を清和源氏に求めるのに対し、なんと秦の始皇帝の後裔を称する土佐の長宗我部氏。家臣らに「姫若子(ひめわこ)」と陰口される嫡男・元親は、宿敵・本山氏相手の初陣で、鮮やかな戦ぶりを示す。

 

姫若子と呼ばれた少年期の長宗我部元親

長宗我部元親が、おのれの血を意識するようになったのは、祖父兼序の遺品である。『孫子』や『呉子』の兵書を、父国親の蔵書の中に発見し、格別たる感懐をもって耽読しだしてからといわれる。これらの書物を繙くことにより、遙かなる遠祖に思いを馳せられるからなのだ。

遙かなる遠祖とは―長宗我部氏は、元の姓は秦氏。世の多くの武将が、その源流を清和源氏に求めるのに対し、なんと秦の始皇帝の後裔たることに胸を張る異色の武門であった。

元親から21代前の秦能俊が、信濃国から土佐の長岡郡宗我部郷に移り住んで、郡名の一字を冠して長宗我部姓を名乗り、岡豊城に拠ったのを始まりとするという。

少年の元親は、それが体質なのか、南海の強い日射しにも灼けることなく、女の子のように貌も肌も白い。しかも人前に出ることは嫌い、出れば含羞うところから、家臣たちからすら「姫若子(ひめわこ)」色子のようだと噂されたという。が、元親当人は平然たるものであり、ひそかに兵書を繙くようになってからは、いよいよ内に籠もって「姫若子」の風評を確かなものとした。そして彼は、『孫子』の、「兵は詭道なり」の一語を眼にした瞬間、思わず「お祖父様もこれに敗れたのだ!」と唸っていた。すなわち孫子は、戦争とは謀略を用い、敵を欺く道であり、常道にはあらずと喝破しているのである。

元親の祖父兼序は、管領細川政之の助力の下、土佐の名刹、臨済宗妙心寺派の禅道場で知られる吸江庵(ぎゅうこうあん)の寺奉行を務める学識深い武人であった。それが細川政之が謀殺されて兼序が孤立するや、たちまち本山、山田、吉良、大平などの近隣諸豪の連合軍に襲撃されて敗死、岡豊城もまた落城の憂き目をみた。

その子千雄丸は、家臣の機転で籠に入れられて難をのがれ、幡多郡中村の一条房家のもとに匿われた。ある日、2階樓上に立った房家が、戯れに「ここから庭に跳び下りたら、岡豊城を取り戻してやろう」と言ったところ、間髪を入れずに千雄丸は宙へ身を躍らせた。「この幼い子が......」感涙を零した房家は、本山ら諸豪にこの話を聞かせ、岡豊城を千雄丸に与えたのである。

千雄丸、時に七歳。以来、譜代の家臣たちに擁せられて成人し、兼序の跡を継いで国親となり、着々と戦力を蓄えた。国親とは、このようなエピソードをもつ、覇気に富んだ果敢な武人なのだ。すでに幾たびかの小戦)もしている。然し、なぜか嫡男元親が二十歳過ぎてもなお、出陣の同行を許しておらぬのは、やはり「姫若子」のせいかと囁かれたが、その「姫若子」元親にも、ついに晩初陣の時が来た。

 

 



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