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土佐平定へ、剽悍無類の一領具足と謀略の冴え~長宗我部元親の野望



2010年11月10日 公開

工藤章興(作家)

長宗我部元親

 父の遺志を継いで本山氏を滅ぼした元親の目は、次に東の安芸国虎と西の一条兼定へと向けられた。得意の謀略で敵を切り崩し、機を見て一領具足で攻め破る。巧みな戦略で元親は、土佐平定への道を驀進するのだった。

 

智将ならではの巧妙な外交作戦

 宿敵の本山氏を滅亡させた長宗我部元親は、土佐七郡のうち中央部の四郡(長岡・香美・土佐・吾川)を制圧し、土佐統一に向けて次なる階梯へと踏み出していった。

 その時期、討滅すべき対抗勢力は、東方の安芸郡に君臨する安芸城の安芸国虎、西方の高岡・幡多の2郡を領して勢威を誇る中村城の一条兼定の2人に絞られていた。元親が先に矛先を向けたのは安芸国虎だった。軍勢を動かしたのは、本山氏討滅から半年余を経た永禄12年(1569)の初秋である。

 準備は周到だった。国虎は一条兼定の妹を室としており、元親が安芸郡へ侵攻すれば兼定が国虎を支援するおそれがある。それを防止すべく、10年ほども前から入念な懐柔策を講じていたのだ。
 永禄3年(1560)、先に本山氏が攻略した高岡郡の蓮池城を兼定が奪還しようとしたおりには、「高岡郡に野心はない。加勢の兵を送ってもいい」と申し出た。永禄7年(1564)から翌年にかけて南伊予の軍勢が一条領へ侵攻してきたときも、援兵を派したうえで、弟の弥九郎(親益)を人質として兼定のもとへ送り異心のないことを示した。智謀の将ならではの巧妙な外交戦略だ。

 元親は安芸部への侵攻開始に当たっても智略を働かし、4月初旬に国虎へ書状を送った。

「近々岡豊へ御来臨候へ。対面を遂げ、互に天神地祇を驚かし、誓約を固くして、骨肉同胞の睦をなし、過失相親しみ、患難相救ひ候べし」(『土佐物語』)

 一見、低姿勢で鄭重な招待状だ。が、安芸氏は天武元年(672)の壬申の乱で土佐に配流された蘇我赤兄の苗裔と称し、「安芸五千貫」を支配した大豪族であり、家格は長宗我部氏よりはるかに高い。その当主に岡豊城まで出向いてこい、というのだ。

「互に領分の境に出で誓約をなさんといはばさもあらんか。然るに我を岡豊に来れとは、降参せよとにや」(同書)

 屈辱的な申し出に嚇怒した国虎は、一条兼定の後援を期待して元親との一戦を決意した。元親の挑発にまんまと乗せられてしまったのである。

 内心でほくそ笑んだ元親は、礼儀を尽くした申し出を国虎はにべもなくはねつけたと喧伝し、安芸郡への侵攻には大義名分ありとして、3カ月後の7月、7千の大軍勢を催して岡豊城を雷発。香美郡と安芸郡の境を越えた和食で軍を2つに分かった。

 主力部隊5千は海岸沿いに安芸城を目ざす。元親自らが率(ひき)いる別働隊2千は山道を迂回し、安芸城背後の内原野へと向かう手はずだ。

 迎え撃つ安芸国虎軍は5千。海岸沿いの街道を扼する新庄城と穴内城を道中の押さえとし、主力を八流(失流)の砦に配した。

 両軍は八流で激突した。銃弾と矢の応酬のあと、元親麾下の"一領具足"が鯨波をつくって突撃していく。一領具足とは、平時には農耕に従事し、いざ合戦となると武士に変身する半農半士。農作業中も、草鞋と兵糧をくくりつけた槍と具足を畦に用意しておき、陣触れがあるや、その場で具足を着し槍をかついで戦場へ駆けつけるという死生知らずの剽悍な地侍である。  

 長宗我部勢は波状攻撃を繰り返す。が、八流は山裾が海まで迫って断崖絶壁をなす嶮難の地で道は細く、攻めるに難く守るに易い。さしもの一領具足もなかなか突破口を開けず、一進一退の攻防戦がつづく。

 その激闘の最中、八流の沖合に法螺貝の吹鳴音と鬨の声があがって戦況は急変した。長宗我部勢が軍船を仕立てて海上からも攻めてきたと勘違いした安芸勢が浮足立って潰走しはじめたのだ。元親が和食や手結の漁船を徴発し、漁民や農民を乗せて鬨の声をあげさせたのだつた。

 面目躍如の詭計である。

 八流の戦いの敗報を受けて新庄城、穴内城にあった軍兵も本城へ撤退。安芸勢は全軍が安芸城に籠もることになった。

 長宗我部軍主力部隊は逃げる安芸勢を追走する。手はずどおりに内原野へ進出した別働隊も安芸城の背後へ迫り、安芸川を隔てた丘陵上に本陣を置いた。

 だが、犠牲を伴う力攻めはしない。元親の調略の手は城内へも伸びており、包囲しているだけで陥落する、との読みである。

 実際、そうなった。安芸氏譜代の横山紀伊、岡林将監、専光寺右馬允、小川新左衛門、小谷左近右衛門らの有力部将が内応し、搦手から長宗我部勢を引き入れたり、城内の井戸に毒を投入したりした。将兵の士気は極度に低下し、兵糧も飲料水も欠乏してくる。頼みの一条兼定の援軍もやってこない。国虎はいかんともしがたく、籠城24日目の8月11日に自害し、安芸氏は滅亡するのである。

 



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