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生き方

「生きた証」とは何か...現世に残したい本当に“大切なもの”

冨安徳久(株式会社ティア代表)

2011年05月14日 公開 2022年08月18日 更新

「生きた証」とは何か...現世に残したい本当に“大切なもの”

人はこの世に生まれ、その生涯を閉じるまでに何を残すのだろう。自分が「生きた証」はどこにあるのか。

先進気鋭の葬儀会社ティアの創業者であり代表を務める冨安徳久氏は、「どれだけたくさんの人から感謝されたか」がその人の生きた証拠になるのではないかと語る。

人が一生を終える時、"本当に大事なこと"について冨安氏は想いを綴る。

※本稿は、冨安徳久 著『何のために生きるのか』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

「生きた証」とは何か

「生きた証(あかし)」という言い方があります。この世に生を受けて、その生涯を閉じるまでのあいだに、人はいったい何を残すのか。自分が生きてきた証というものはどこにあるのか。誰もが何かを残したいという気持ちがあります。

その証とは、家族かもしれない。これまでやってきた仕事かもしれない。あるいは営々と築いてきた地位や財産かもしれない。いろいろなかたちで人は生きてきた証を残そうとします。

しかし、よく考えてみれば、はたしてそんなものがあるのでしょうか。証とは目に見える何かを指すのでしょうか。

「本来無一物」という言葉が仏教にあります。人間は裸で、何も持たないままに生まれてくる。そして死ぬときにも、同じように何も持たずにこの世から去っていく。いくら財産を築いたとしても、それをあの世に持っていくことなどできない。本来人間とは、無一物、すなわち何も持たない存在であるという意味です。

ならば、人間にとっての「生きた証」とはいったい何なのか。それはきっと、自分以外の他人の心にこそあるものではないでしょうか。父親が亡くなる。父親は一生懸命に働き、家や財産を残してくれた。でもそれは、けっして父の生きた証とは呼べません。ほんとうの意味での証とは、妻や子どもたちの心の中にこそあるのです。

父が教えてくれたこと。父が与えてくれた大きな愛情や優しさ。たくさんの父との思い出。そして何よりも父に対する感謝の気持ち。それさえあればいい。たしかに父はここに生きていたという思い出さえあれば、最高の生きた証になるのだと思います。

 

最期に、"本物の涙"を流してくれる人がどれだけいるか

そう考えると、生きた証とは、どれだけたくさんの人間の心に残っているか、どれだけたくさんの人から感謝されたか、ではないでしょうか。

たとえば、私がいま死んでしまったとします。おそらくは社員たちが私を見送るために社葬をやってくれるでしょう。何百社という協力会社や取引先がありますから、葬儀には大量のお供えの花が飾られることでしょう。

参列者も大勢来てくれるだろうし、マスコミにも取り上げられるかもしれない。でも、たとえそうだったとしても、何の自慢にもなりません。そんなものは私にとって生きた証でも何でもないのです。

そんなことよりもいちばん嬉しいことは、「冨安さんに会えて、人生が変わりました」「冨安さんの話を聞いて、大事なことが何かがわかりました」「ティアで葬儀ができて、ほんとうに感謝しています」と思ってくれる人がいること。

私にとってはそれが最高の生きた証となるのです。私の葬儀になんて来てくれなくてけっこうです。香典やお供えの花も必要ありません。ただ私の訃報を聞いて、「冨安さん、ありがとうね。あなたとティアには感謝してるよ」と遠くから祈っていただければ本望なのです。

本物の涙を流してくれる人がどれだけいるか。「いままでありがとう」といってくれる人がどれだけいるか。いちばん大事なことはそれだと思います。

きっとたくさんの人が自分のために本気で涙を流してくれる。きっと私がやってきたことに対して、心から感謝してくれている人がたくさんいる。もしもそんな確信が持てたなら、私はいつ死んでもいいとさえ思います。この世に生きてきた甲斐があった。そんな満足感に包まれてあの世に旅立てるでしょう。

 

自分は現世に何を残したいのか

以前、ある方の葬儀を執り行いました。その方は警察署長まで務められ、社会的にも大きな存在感を持っていました。定年退職してから数年後、その方は旅立たれました。葬儀には大勢の人が来ました。同僚はもとより、現職の警察関係者もたくさん訪れた。

「ああ、主人は社会で評価されていたんだな。生きた証をしっかり残したんだな」奥様はそんなふうに感じていました。

亡くなってから四十九日を迎えるころまでは、誰彼となく自宅にやってきたそうです。ところが、一周忌を過ぎたころから、ぱったりと誰も来てくれなくなってしまった。奥様は私にこういいました。

「冨安さん。お父さんは、これまで何をやってきたんだろうね。一生懸命に警察官として働き、部下の人たちを育ててきたのに、もう誰もうちには来てくれないんだよ。警察署長までやったのに、結局は何も残せなかったのかもしれないね」

生きた証とは何か。自分は何を残したいのか。それは人それぞれで違うでしょう。財産や地位を残したいと思う人を私は否定しません。それが証なのだと信じているのなら、それでもかまわないと思います。ただ、そんなものはあの世には持っていけませんよ。

もしもあの世というものがあるのなら、そこに持っていけるものはきっと心だけです。心の中にたくさんの思い出と感謝を詰め込んで、私は旅立っていきたいと思う。みんなの「ありがとう」を聞きながら逝きたいと思っています。

 

【PROFILE】冨安徳久 (とみやす のりひさ)
1960年、愛知県生まれ。1979年、大学入学式直前、葬儀のアルバイトで感動して、18歳で葬儀の世界に入る。1981年、愛知県に帰り、東海地方の互助会に転職。生活保護者の葬儀を切り捨てる会社の方針に納得できず、独立を目指し、1997年、株式会社ティアを創業。適正料金を完全開示するという業界革命を起こす。2011年4月末現在、直営店・FC店合わせて49店舗、会員数は16万人を超え、日本で一番「ありがとう」といわれる会社を目指している。
著書に、『日本でいちばん「ありがとう」といわれる葬儀社』『「ありがとう」すべては感動のために』(以上、綜合ユニコム)『ぼくが葬儀屋さんになった理由』(講談社+α文庫)『1%の幸せ』(あさ出版)『心の角度を幸せに』(中経出版)がある。

 

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