なぜ、知能の高い人はクラシック音楽を好むのか?
2015年09月29日 公開 2024年12月16日 更新
《『知能のパラドックス』より》
知能と音楽の好みの関係―「知能のパラドックス」を解き明かす
音楽の起源は歌。楽器で演奏する音楽は新しい
進化の歴史上、言語や芸術がどのようにして生まれ、どんな機能を果たしたのかについては、人類学や考古学の分野で多くの研究がなされている。だがそれに比べて、音楽の起源についてはほとんど関心が払われていない。
認知考古学者のスティーヴン・ミズンはその著書『歌うネアンデルタール――音楽と言語から見るヒトの進化』で、音楽の起源について斬新な理論を唱えている。それによれば、音楽と言語には共通の原型――「音楽言語(ミュージランゲージ)」――があり、それが後に発展して、音楽と言語という別々の形態になったという。
ミズンの主張が正しく、音楽と言語には進化上、共通の起源があり、全体的かつ音楽的な発声によってメッセージを伝えていたのだとすると、1つの仮説が浮かび上がる。音楽の進化上の起源とは「歌」だったのではないか。個々人が歌によって自分の欲求や感情を表わし、他者の感情や行動にはたらきかけたのではないか。言い換えれば、進化の歴史において原初の音楽とは、必ず発声を伴うものだった。つまり、楽器演奏だけの音楽はなかったはずだ。したがって、歌を伴わない、楽器演奏だけの音楽は、進化の歴史で新しいものだと言える。
ここで参考になりそうなのが、現代の伝統社会の例である。北米先住民のブラックフット族には、「歌」に相当する言葉はあっても「楽器演奏の音楽」にあたる言葉はない。ブラジルのアマゾン奥地に暮らすピダハン族の言語は、ミズンが現代の言語・音楽の原型として想定した「音楽言語」の現存例と言えるかもしれない。ピダハン族の言語には、単語はあるものの、およそ知られている人間の言語で母音の数が最も少なく(3つ)、子音の数も最も少ない(女性は7つ、男性は8つ)。「ピダハン族の人々はもちろん言葉(子音と母音)を使ってコミュニケーションをするが、それと同じくらい、歌や口笛や鼻歌でもコミュニケーションをする。ピダハン族の韻律はとても豊かで、音節がその音節量によって5種類に区別される」。
もともとプロのミュージシャンで、現在は言語学者であり、言語の進化上の起源に関する「全体的アプローチ」の考案者でもあるアリソン・レイはこう述べている。「私の感覚で言うと、西洋のクラシック音楽は世界中の他の伝統音楽と同様、「進化の歴史における音楽的表現とは」性質が違うようだ。そもそもクラシックをやるには、普通の人にはマスターできない、つらい修行を積まなければならない。バッハやシェーンベルクの作品に見られるようなメロディーやハーモニー、リズムが自然に理解できるようになるわけはない(自分で創作するのはもっと難しい)。この種の音楽は母語の習得とはまったく違うのだ」。
要するに、レイが言っているのは、バッハやシェーンベルクのようなクラシック音楽は進化の歴史において新しいということだ。クラシックがほぼ楽器のみで演奏される音楽であることが、その理由の1つだと私は考えている。
レイの主張を裏づけるように、一般に、楽器を演奏できる人よりも、歌を歌える人のほうがずっと多い。たとえば、イギリス国民で音痴の割合は大体4~5%と推定されているが、逆に言えば、国民の95%はうまく歌を歌えるということだ(それに音痴の人の中にも歌うのが好きな人はいる)。だが、楽器をうまく演奏できる人の割合はそれよりずっと少ない。おまけに、楽器(ギターやピアノなど)を演奏する場合は、いっしょに歌も歌うことが多い。
したがって、知能のパラドックスの観点から、音楽の進化上の起源をめぐるミズンの理論をとらえると、知能の高い人ほど、楽器だけで演奏する音楽を好む傾向にある、と言える。そうした音楽は進化の歴史で新しいものだからだ。ただし、人の声による音楽の好みについては、一般知能と関係がない。このように考えると、知能の高い人ほどクラシックを好むのは、クラシックがほぼ楽器だけで演奏する音楽だからだろう。つまり、知能の高い人は、クラシックに限らず、楽器で演奏する音楽なら何でも好むはずだ。
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