安倍晋三首相と青山和弘記者が、ホンネで話した700時間
2015年10月05日 公開 2015年10月05日 更新
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安倍晋三首相という政治家がどういう人物なのか、不安や疑問を抱いている国民は少なくないのではないか。日本国憲法をどうしたいのか。アベノミクスは大丈夫なのか。そこまで強気なのは、なぜか――。10年余り政治家・安倍晋三を取材してきた著者・青山和弘氏が、首相の胸の内に迫り、その実像と本音を明らかにする本書『安倍さんとホンネで話した700時間』。自民党総裁に再選され、長期政権も視野に入った今こそ、安倍氏の今後の動向を見極める一助になるだろう。
では、本書に込められた著者の思いを「はじめに」からご紹介しましょう。
安倍晋三のことがわからなすぎて
「ようやく何でも食べられるようになったよ。食欲があるって大事だね」
2007年10月下旬、安倍さんは、ちょっとはにかむように笶った。9月の電撃的な首相辞任から1カ月半。私は渋谷区富ケ谷の安倍さんの自宅で、一対一で安倍さんと向き合っていた。
「外には出られないから、家の階段で運動しているよ。ハハハ」
体調はだいぶ回復したようで、頬もちょっとふっくらして、意外と元気そうだという印象を受けた。ほんの少し前に総理大臣という、日本国の最高権力のポストを。投げ出した人物とはとても思えない。
ただ、その力のない笑顔が、私の知っている安倍晋三という人のものとちょっと違うように思えて、精神的なショックの深さを感じさせた。
国民の大きな期待を受けて誕生した第一次安倍政権は、「国を愛する心」を盛り込む教育基本法の改正や、憲法改正に道を開く国民投票法の成立、防衛庁の省への昇格、各省庁による天下りの斡旋を禁止し、新人材バンクを創設する公務員制度改革など、安倍さんの思い入れの強い政策を次々と実現。
その一方で、閣僚の辞任が相次ぎ、官邸の「チーム安倍」の不協和音も噴出、参議院選挙にも敗北した。最終的には自らの体調不良による首相辞任という結果となり、大きな挫折感を味わっていたことだろう。
「お坊ちゃん宰相の政権投げ出し」と揶揄され、自民党内にも「安倍晋三は政治家として終わった」という見方が支配していた。
「重い十字架を背負って、これからどうしていくのだろう」
私は、「政界のプリンス」の座から「奈落の底」に転落した安倍晋三という一人の男の人生に思いを馳せた。
いつから体調が悪く、辞任を考えはじめたのか。なぜ辞任が臨時国会の所信表明の直後だったのか。あれほど順調に首相にまで上り詰めたのに、どうしてこんなことになってしまったのか。わからないことがたくさんあった。
ただ、この日はあまり詰めた話はせず、淡々とした調子で世間話に終始した。ただ、自分の辞任後に「憲法改正の雰囲気がなくなったのは残念だ」と語っていたのが印象的だった。まだ気軽に外出はできない状況で、こうやって自宅で誰かと話すのが、唯一の社会との接点なのだろう。気がつけば昭恵夫人が出してくれたクッキーをポリポリ食べながら、2時間も話していた。
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「安倍晋三というのは不思議な政治家だなあ」
そう思っていた私が、安倍さんの担当記者、いわゆる「番記者」になったのは2004年10月。安倍さんは小泉純一郎首相に自民党の幹事長に抜擢され、ポスト小泉の一番手に躍り出ていたが、その年7月の参議院選挙の敗北を受けて幹事長代理に降格となっていた。
私は、政治記者経験足掛け10年ほどの中堅記者だったが、将来の首相候補と目される安倍晋三という政治家のことがよくわからなかった。岸信介元首相の孫で、安倍晋太郎元外務大臣の息子という“スーパーサラブレッド”でありながら、激しい調子で官僚や、時に自民党幹部にも食ってかかる。甘いマスクの爽やかイメージとは裏腹に、北朝鮮拉致問題や教科書問題に強いこだわりを持っている。仲間は多いが、敵も多い。
「安倍晋三はどんな人物で、何を考えているのか」
私は「安倍さんの本音を知りたい」と強く思った。当時、私は日本テレビで自民党取材を統括する、「自民党キャップ」という立場にあったが、安倍幹事長代理番に名乗りを上げた。
安倍さんの周囲の取材合戦は、すでにかなり激しくなっていた。
とくに安倍さんは、どんな記者とも等間隔で接するタイプではない。話のできる記者、信用できる記者とそうでない記者とを分けて、距離感をきっちりと変えるタイプだ。
すでに一定の関係を築いている記者が周りを取り巻くなか、安倍さんの本音に迫るためには、懐に飛び込み、他の記者とは違う信頼関係を築かなければならない。
私は他の記者と同じこと、つまりルーティーンの夜回り(夜、自宅前で帰宅を待って話を聞く取材)や、会見や懇談に出席しているだけでは埒があかないと考え、できるだけ安倍さんと一対一で話せる機会をつくろうとした。
その努力が実ったのが、安倍幹事長代理のインド訪問の時だった。幸いにもマスコミでは私だけが同行取材することになり、番記者としては得難い機会となった。また地元の山口県に入ったり、アメリカ訪問にも同行するなど、一年足らずだったが、充実した番記者生活だったと思う。
安倍さんは、2005年の郵政選挙で自民党圧勝の後、内閣改造で内閣官房長官に抜擢され、一気に首相への階段を駆け上がっていく。
それ以降は担当からも外れたが、以来10年あまり、濃淡はあるが安倍さんを見つづけた。首相辞任以降もたまに事務所を訪ねたり、懇談の席を設けたりして、本当にいろいろな話をしてきた。折に触れて、今の政治をどのように見ているか、安倍さんが何を考えているのか、本音を尋ねてきた。
首相辞任の直後は、2度目の首相の座が回ってくるとは夢にも思わなかったが、安倍さんは5年の雌伏期間を経て再度、首相の座に就いた。そして、第二次政権はまもなく3年が経とうとしているが、安全保障関連法案の審議などを経て、安倍首相は「暴走している」「独裁政治だ」などと厳しい批判も浴び、内閣支持率も下落傾向にある。
いま国民のなかには、安倍晋三という政治家がどういう人物なのか、不信感を持ったり、不安に思っている人も多いのではないだろうか。だが、安倍政権は当面続く。私は今こそ、10年あまり安倍さんを取材してきた政治記者として、私が知るかぎりの安倍さんの実像や本音を明らかにしたいと考えた。
今回の出版に際して私は何度か、安倍さんと膝詰めで取材をする機会を得た。現職の首相として国会審議や外交への影響などを考慮して、発言の直接引用は極めて限定的にならざるを得ないが、安倍さんの今の本音に触れることができた。
また安倍さんのこれまでの著作や取材メモをすべて読み直したほか、安倍さんの周囲の方々へのインタビューも行い、安倍さんはどういう人物で、普段何を考えて、何に影響されているのか、そして何を目指しているのか、できるだけの生身の姿を探った。
安倍さんは変わり者が多い永田町の中でも、極めて特徴のある政治家の一人だと思う。せっかちだけどおしゃべり好きで面倒見がいい「普通の人」の側面もあるが、一方で、「岸信介の孫」「安倍晋太郎の息子」としての特異な境遇と経験が培った強い信念と勝気な姿勢など、普通の人とは違った側面がモザイクのように組み合わさっている。
私たちは今、どんな首相と向き合っているのか。長期政権も視野に入った今こそ、本書によって読者のみなさんが安倍首相の実像を知り、安倍政権の今後を展望する手掛かりになれば、この上ない幸いである。