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古賀茂明 利権の復活―安倍政権のつくられた「改革派」イメージ

古賀茂明(元経済産業省官僚)

2013年11月05日 公開 2022年12月19日 更新

古賀茂明

《PHP新書『利権の復活より》

 

メディアは利用され、国民は騙される

 

 「汚染水問題は国民の関心も高い喫緊の課題だ。東京電力にまかせるのではなく、国としてしっかりと対策を講じていく」。そう胸を張り、「スピード感をもって東京電力をしっかりと指導し、迅速かつ確実に重層的な対策を講じてほしい」と指示する安倍総理。

 2013年8月7日、深刻さの度を増す東京電力福島第一原子力発電所の汚染水対策をめぐって、原子力災害対策本部会議の模様がテレビニュースに映し出された。相次ぐ失態に対処できない東京電力とは対照的に、力強いリーダーシップを発揮する“正義の味方”安倍晋三の姿がそこにはあった。汚染水対策に国費を投入することが事実上決まった瞬間だ。

 マスコミは「国が前面に」「国費投入」と報道し、テレビのコメンテーターやキャスターは強い危機感を背景に「遅すぎたくらい」「国がやるのは当然」「やるしかない」と、おおむね肯定的な解説を加えた。

 しかし、この決定が実際に意味するのは、東電の株主と債権者である銀行の資産を守り、その一方で、なんの責任もない一般国民に負担を課すということである。つまり、途方もなく理不尽な方針が、いっさいの反対もなく世論によって承認されたのである。

 これを受けて経済産業省は、汚染水対策の予算要求を行う準備を始めた。既成事実化が一気に進み、これほど重要な決定に際して国会での審議もまったくなされなかった。マスコミも国民も、安倍政権の巧妙な詐術によって完全に騙されたのである。

 9月3日、原子力災害対策本部と原子力防災会議の合同会議の場で、件の方針が正式に決まった。ここにいたってようやく、銀行を守り、国民につけをまわす政策に批判が出はじめたが、もはや後の祭りだった。

 同月、ブエノスアイレスで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会で安倍総理は、日本人ならだれもが首を傾げる発言をした。福島第一原発の汚染水問題について「状況はコントロールされている」「汚染水の影響は……完全にブロックされている」と豪語してみせたのだ。

 オリンピック招致を決めたのに、諸手をあげて喜べなかったのは私だけではあるまい。

 

ウソはつかずに「いかに国民を言いくるめるか」

 

 政治の機能が劣化するのに反比例して、このところ目立って高度化しているのが、政治家による世論誘導のテクニックである。なかでも自民党安倍政権において、マスコミを利用しながら世論を動かす手練手管は際立っている。

 これまでマスコミ操作として横行していたのは、大臣の記者会見や個別取材の際、偏った情報を発信したり、官僚自身が政治部や各省記者クラブの記者たちに情報を流したりして、みずからに都合のよい方向に報道を誘導する手法だった。

 あるいは、最近よく耳にするようになった「霞ヶ関文学」や「官僚のレトリック」と呼ばれるものだ。要するに、法律の条文や公文書、国会答弁をつくる官僚独特の作文技術のことで、文章表現や言いまわしに細工をして、一般の人にはわからないかたちで自分たちに好都合な解釈の余地を残すテクニックである。いわゆる官僚主導の有力なツールとして、これらは使われてきた。

 しかしいまや、そうした「官僚のレトリック」は官僚だけのものではなくなった。一部の“有能な”政治家がこのレトリックを体得し、最近ではマスコミやインターネットを駆使したイメージ戦略も展開しながら世論を左右するようになった。記者会見や国会答弁、街頭演説、イベント参加、フェイスブックにツイッターと、あらゆる機会と手段を活用し、国民に向けて政権のイメージを演出する。

 つまり、官僚のレトリックは「いかに国会を騙すか」に主眼があったが、安倍政権のレトリックは「いかに国民を騙すか」が目的だといえる。

 とはいえ、国民は「ウソをつかれて騙されている」わけではない。手口はもっと巧妙で、言葉にすれば、私たちは「理屈で騙されている」。

 ――「これはこうですね」「はい」「ということは、これはこうですね」「そうです」「だったら、これはこうなるじゃないですか」「なるほど」

 理を尽くした説明をていねいに受けた結果、いつの間にか言いくるめられている。

 

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