国際教養大学トップが語る日本の教育革命
2016年07月06日 公開 2024年12月16日 更新
PHP新書『なぜ国際教養大学はすごいのか』より
「文系学部の廃止」がもたらすもの
2015年6月、文部科学省が出したある通知が問題になりました。
そこには教員養成系の学部・大学院、人文社会科学系の学部・大学院について、「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」と書いてあったのです。
これは大学改革の一環としての提言でした。18歳人口が減少しているので、教員養成系学部では教員免許取得を卒業条件とせず、任意としている「ゼロ免課程」というシステムを廃止する、という意味で文科省は伝えたようですが、通知ではその前提部分を省略してありました。
これを受け、「文系学部を廃止するということか」と学術界や経済界、マスコミから「文系軽視だ」と批判の声が上がりました。そのため、文部科学省はあわてて「一部の課程の話だ」と訂正しました。
しかし、実際に国立大86校のうち横浜国立大学、愛媛大学、熊本大学など多くの大学が、経済学部や経営学部を統合したり、法文学部の定員を縮小するなどの計画を発表しています。その取り組みによって運営費交付金の配分が決まるので、文系学部廃止に向かって舵を切る大学は増えているのです。その代わりに、国際教養学部や都市科学部といったグローバル化やイノベーションの創出を担う学部を新設する大学もあります。
私もグローバルな人材創出の旗振り役の一人ではありますが、文系学部の廃止には大反対です。
教養教育という観点から見ても、人文科学、社会科学、自然科学という三つの分野の知識や経験をバランスよく深めないと「全人力」を身につけられません。自然科学系統を重視して人文科学、社会科学を廃止、あるいは縮小していっては、全人力教育はできないのです。
21世紀の教育は教養教育を基盤として、その上に大学の専門教育を積み重ねる構造になっていくべきです。いまの大学は、入学時に経済学部や商学部、文学部などを選んで最初から専門化しています。その結果、専門性を持った人材は生まれても、全人的な判断ができない人材ばかりになり、その危機感から、最近になって教養教育が大切だといわれるようになったのです。それにもかかわらず、教養に関する学問を廃止するようでは、時代に逆行しています。
文学や歴史、言語、政治といった文系の学問は社会に出てから直接役に立たないという理由で、廃止しようとしているのでしょう。しかし、そういった教養こそ、世界のエリートはみな身につけています。学問に無駄はありません。仕事には直接役立たなくても、豊かな人生を送る下地をつくってくれるのが教養なのです。
そもそも理数系の知識や理論も、社会に出て数年で役に立たなくなるものです。これだけ目まぐるしくテクノロジーが進化し、科学技術が発展し続けるかぎり、いま学んでいる知識はあっという間に陳腐化します。
そもそも学問は、目先の利益のためにするものではなく、社会に出て20年後も30年後も通用するような思考や感性、倫理観や道徳観などの人間性を養うためのものです。そういった全人力こそグローバルな社会を生き抜くために必要であり、知識だけでは渡り合えません。日本のエリートが海外で活躍できないのは、知識は豊富でも、教養がないから太刀打ちできないのです。
ですから国際教養大学では、社会学や政治学、日本史、文学などの幅広い講義を行い、教養を身につけさせています。
文系学部を廃止してしまったら、日本の教育は再び混迷を極めるだけです。こればかりは賛同できません。