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ブレるのは止めよう~ハイブリッド外交官・宮家邦彦の交渉術

宮家邦彦(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)

2016年07月18日 公開 2022年12月28日 更新

シンプルな組織を作る

先にも述べたとおり、外交交渉には内外多くの利害関係者がいます。彼らすべてを交渉に参加させたら、まとまるものもまとまらなくなるでしょう。だから交渉チームはできるだけシンプルなほうがよいのです。一般論としては、意思決定者が少なければ少ないほど、早く効果的に決断できることは間違いないでしょう。

例えば、WTOサービス貿易交渉については、金融業界や電気通信業界の関係者がいます。日・GCC航空協定であれば、国内の航空関係者、空港関係者がいます。駐留米軍経費負担問題であれば、日本全国の米軍基地周辺自治体、住民など多くの利害関係者がいるのです。

問題は国内利害関係者をいかに関与させるべきかでしょう。外交交渉であれば、本来は議論すべき利益は国益であるはずですが、実際には必ずしもそうはなりません。この点はきわめて重要ですのです。

 

正直に徹する

先程、外交交渉は言葉の格闘技だと申し上げましたが、それでは交渉官同士で毎日喧嘩ばかりしているかといえば、決してそうではありません。むしろ、交渉官同士は仲が良い場合が多いのです。彼らとは、本国政府間の意見の相違を承知の上で、交渉を円滑に進める(または、しこりが残らない形で決裂させる)方法を相談することも多々あります。

理由は簡単です。サービス分野の貿易交渉を例に説明しましょう。交渉はこれが最後ではありません。いつまた、新たな交渉ラウンドが始まるともかぎりません。再びWTOの枠内で交渉が始まれば、ほぼ同じメンバーによってほぼ同じ交渉が繰り返されます。そのことを考えれば、一回かぎりの交渉などはできないのです。

一回かぎりの交渉であれば、噓をついて相手を騙し、あらゆる権謀術数を駆使して、自国の利益を最大化すればよいでしょう。しかし、もし交渉が今後も長く続くことが分かっていれば、噓をつく代償は将来必ず払わなければなりません。という訳で、先進国の交渉官のなかで噓や不正のような禁じ手を使う者は恐らくいないだろうと思います。

交渉において一度でも相手を裏切れば、その交渉官は二度と信頼されません。そうなればその人物は、二国間はもちろん、多国間交渉からも事実上排除されるでしょう。そればかりではありません。そのような欺瞞に満ちた交渉を指示した本国政府も、次回交渉からはその交渉ポジションを大いに弱めることになりかねないのです。

交渉官も役人ですから、数年ごとに人は代わるでしょうが、その人物がどこに行っても、「噓つき」「インチキ」交渉官の汚名は変わらないでしょう。私の知るかぎり、この種の交渉において噓は有効な手段どころか、逆効果となる可能性のほうが高いと思っています。少なくとも、私は交渉中に噓をついたことはありません。

 

最後に1%だけ噓をつく

それでは、WTOの交渉官はみな正直者かと聞かれれば、必ずしもそうではありません。むしろ、「正直者だけでは交渉にならない」と答えざるをえないかもしれません。WTOにかぎらず、およそ一国を代表する交渉官ともなれば、決して「噓つき」ではありませんが、必ずしも「正直者」だけではありません。誰も噓は言わないが、本当のことも言わない。これが普通なのです。

私の知るかぎり、外交交渉の多くはこの種の「信頼関係」によって成り立っていると思います。交渉官の誰もが、お互いの立場を十分理解し合った上で、何とか結果を出そうと努力しています。しかし、交渉の最終段階になれば、何らかの妥協が必要になる場合もあります。その時に必要なのが「小さな噓」なのです。

いかに交渉を詰めても、どうしても折り合えない点はいくつか残るものです。全体の合意パッケージが煮詰まりつつあるなかで、これらの解決が難しい点を処理するために、信頼し合う交渉官同士が、お互いに小さな噓をつかなければならない事態も起こりえます。これこそが外交交渉の真髄だと私は思っています。

外交交渉は99%の正直さと1%の噓から成り立っています。この正直さも、小さな噓にも、それなりの役割があるのです。恐らく、外交交渉以外でも、すべての交渉にはそのような微妙な側面があるはずです。今後さまざまな交渉を行う上で、そのことだけは知っておいてほしいと思います。

著者紹介

宮家邦彦(みやけ・くにひこ)

外交政策研究所代表

1953年、神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業後、外務省に入省。日米安全保障条約課長、在中国大使館公使、中東アフリカ局参事官などを歴任。2005年外務省を退職し、外交政策研究所代表に就任。09年より、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹を兼務。著書に、『語られざる中国の結末』(PHP研究所)がある。

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