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坂本龍馬の船中八策はフィクションだった?

松浦光修(皇學館大学文学部国史学科教授)

2016年12月20日 公開 2023年01月19日 更新

「船中八策」はフィクションだった?

ところが、この「船中八策」という文書……、じつは今、かなり〝あやしい”といわれはじめているのです。なにしろ「原本」がありません。「原本を読んだ」という同時代人の証言もありません。また、その文中に「どうしてもお願いしたいのです(原文・「伏して願わくは」)」とありますが、いったい龍馬が、誰にそのようなお願いをしているのかも、じつはよくわかりません。

そのため、これまでにも「いわゆる『船中八策』の謎」(松浦玲『坂本龍馬』)という言い方をする研究者もいたわけですが、いずれにしても「まさか、ニセ文書というわけでもなかろう」というのが、これまでの研究者の通念で、私自身も、つい最近まで、そう思っていました。ところが平成25年、知野文哉さんという方が、『「坂本龍馬」の誕生│船中八策と坂崎紫瀾』という本を出版され、この本によって、それまでの研究者の通念が、根底からくつがえされてしまったのです。

その本の「著者紹介」によると、知野さんという方は今、東京のテレビ局勤務の方だそうですが、幼いころからの「龍馬好き」が高じて、本務のかたわら、今、大学院の通信教育で日本史を勉強されているそうです。知野さんが書いたその本は、私が読むかぎり、今、世間でしばしば見られるような歴史学の素人による、奇をてらったトンデモ歴史本ではありません。

今の世の中、明治維新や志士を否定的に語り、口汚く罵る本が、かなり出回っています。それらの本のせいで、幕末の志士たちを、平気で「テロリスト」呼ばわりしている人々もいますが、それは、かなり幼稚で、しかも粗雑な歴史認識です。幕末の志士たちは、何の関係もない一般市民を無差別に殺傷したりはしていません。そういう志士たちを、平気で「テロリスト」と呼ぶ人々は、たとえば、大東亜戦争中の「特攻」とイスラム過激派の「自爆テロ」の区別も、たぶんできない人々なのでしょう。

かつて小林秀雄は、「明治維新の歴史は、普通の人間なら涙なくして読む事は決して出来ないていのものだ」(「歴史と文学」)と書いています。「涙」とまではいかなくとも、たしかに「普通の人間」なら、たとえ薩長側の人物に対してであろうと、幕府側の人物に対してであろうと、その人が、その人なりの「義」に生き、戦い、散ったのであれば、わけへだてなく哀惜の念くらいはもつはずです。それこそが日本人で、その点、いつまでも「恨み」つづけることをよし、とする民族とはちがいます。そういう意味で、今の日本には、「普通の人間」ではない人が、増えているのかもしれません。

話をもとにもどします。知野文哉さんの『「坂本龍馬」の誕生―船中八策と坂崎紫瀾』という本は、今どき、よくあるトンデモ歴史本ではない、というお話をしました。

その本は、関係する文献を広く、かつ誠実に調査し検討し、冷静に考証し、結論も、おおむね妥当です。さらにその本には、詳しい「注」までついていますから、それは、読み物というかたちはとっていますが、「歴史学の専門書」といってよいでしょう。

詳しい考証の過程は、その本を読んでいただくとして、ここでは、知野さんの本の結論の一文のみを引用させていただきます。

「坂本龍馬は、船中八策という文書は作成しておらず、船中八策は、明治以降の龍馬の伝記のなかで、しだいに形成されていったフィクションである」(同書)とはいっても、知野さんは、何もその文書に書かれていることが、まったく龍馬の考え方から、かけはなれている……といっているわけではありません。知野さんは、こうも書いています。

「『船中八策』がフィクションであるにしても、それは龍馬が後藤に対して、大政奉還を建言しなかったということではないし、『船中八策』に記された国家構想が龍馬と無関係なものであることも意味しない。極端な話、『船中八策』自体は存在しなくても、龍馬が全く同内容のプランを『口頭』で後藤に建言した可能性だってあるのである」(同書)

つまり、その文書そのものは龍馬が書いたものではないが、しかしそこに書かれていることは龍馬の考え方そのものということになります。ややこしい話ですが、つまり、龍馬のことをよく知っている人なら、「なるほど龍馬なら、こういうことを考えていただろう……」と思わせる文書が、いつのまにか「龍馬自身が書いたもの」に化けてしまった……という話です。

それにしても龍馬が、長崎から京都・大坂へ向かう夕顔丸という船のなかで、近代日本を先取りした画期的な国家構想を、滔々と語り……サラサラと書き取らせるという名場面は、知野さんの考証によって、じつは「事実ではない」ということになったのですから、龍馬が好きな人にとっては、いささかガッカリかもしれません。しかし、そのようなことは、歴史学の研究をしていくと、しばしばおこることです。

私自身も、かつて「明治維新の思想的リーダーの一人」のようにいわれていた学者・思想家について、十数年も研究したあげく、たどりついた結論が、「どうも……そうではないらしい」ということになった経験があります。自分が長年かけて苦労して導いた結論ながら、いささかガッカリしたものです。

しかし、「船中八策」が「フィクション」ということになると、本書は、タイトルに『龍馬の「八策」』とうたっているわけですから、読者のなかには、「看板に偽りあり……ではないか」と思われる向きもあるかもしれません。しかし龍馬には、「船中八策」のほかに、じつはもう一つ、タイトルに「八策」という言葉を入れて呼ばれている有名な文書があるのです。それは今、一般に「新政府綱領八策」(あるいは「新政府綱領八義」)と呼ばれています。

もちろん、この文書のタイトルそのものは、「船中八策」と同じく、後世の人がつけたものですが、以下、本書では、そのもう一つの「八策」を「新政府八策」と呼んでいくことにします。なにしろ、「新政府綱領八策」のほうは、日付も署名も、しっかり入った龍馬の筆跡の文書が、2つも残っているのですから、これは、まちがいありません。

(中略)

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龍馬アホ説?

著者紹介

松浦光修(まつうら・みつのぶ)

皇學館大学 文学部国史学科教授

昭和34年、熊本市生まれ。皇學館大学文学部を卒業後、同大学大学院博士課程に学ぶ。現在、皇學館大学文学部教授。博士(神道学)。専門の日本思想史の研究のかたわら、歴史、文学、宗教、教育、社会に関する評論、また随筆など幅広く執筆。著書に、『【新訳】南洲翁遺訓──西郷隆盛が遺した「敬天愛人」の教え』『【新訳】留魂録──吉田松陰の「死生観」』『【新釈】講孟余話──吉田松陰、かく語りき』(以上、PHP研究所)、『大国隆正の研究』(神道文化会)、『やまと心のシンフォニー』(国書刊行会)、『夜の神々』(慧文社)、『日本の心に目覚める五つの話』(明成社)、『日本は天皇の祈りに守られている』(致知出版)など。

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