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社会

「自分が盾になって撃たれるつもりだった」…自衛官の心意気

桜林美佐(防衛ジャーナリスト)

2017年05月26日 公開 2017年05月30日 更新

「駆けつけ警護」への過大評価

自衛隊に対する誤解は、まだある。

「安保法制などに関して、自衛官はどう思っているの?」とよく聞かれるが、そうした疑問を持つこと自体に、私は逆に疑問を感じてしまう。自衛隊は、「やれ」と言われればやるし、「やるな」と言われればやらない。そういう組織だからだ。

自衛隊は与えられた条件下で、最大限の成果を追求する。法に不備があろうが人員や装備に不足があろうが、その範囲内で全力でやり抜こうとする。目的達成のために、たとえ自らの骨を削り、肉を裂くことになっても、血を流しながら、身を粉にして、彼らは任務を遂行しようとするだろう。

これを象徴していると思われるのは、いわゆる「駆けつけ警護」である。安保法成立のために尽力された方々には恐縮な言い方になってしまうが、どうも賛成する側も反対する側も過大評価しているようだ。

今般の法改正(2015〈平成27〉年9月)では、従来より踏み込んだ武器使用が可能となり、自分や自己の管理下に入った人を守るためだけでなく、妨害する相手を排除するための武器使用も認められるようになった。

だが実際には、通常の軍隊の標準からすればまだ抑制されたものであり、相手に危害を与える武器の使用は正当防衛・緊急避難に限定されていることに変わりはない。

これまでは自己と自己の管理下という近くにいる人を守ることは許されても、隣の建物にいる国連職員を助けたり、離れた場所から日本人に電話で助けを求められても駆けつけたりはできなかったので、今回の改正は、関係者のあいだで「武器使用制限があるとはいえ、マシになった」と評価されているにすぎない。

そもそも、PKO(国連平和維持活動)などにおいては、派遣された地域で何か起きた場合、自衛隊に出動要請が来ることは考え難く、一義的には、現地の治安当局や治安任務にあたる他国軍の歩兵部隊が対応することになる。

たまたま近くにいた場合などは自衛隊が駆けつけるシーンがあるかもしれないが、そうでなければ、行動に制約がある自衛隊がわざわざ選ばれる可能性は低いだろう。

ただ、そうは言っても、自衛隊は法で決められていないことは何一つできないのであり、万が一の事態を考えれば、必要な法整備だったということである。

「この程度の変更では意味がない。かえって誤解を与え、事態を複雑にする」と指摘する声もある。

相手が撃ってきたら初めて撃ち返せるという、他国軍と基準が異なる自衛隊はかえって足を引っ張るのではないか─ということだ。相手より先に攻撃することが許されない自衛隊は、事実上「駆けつけ警護」はできないのであり、法改正は無意味で自衛官をより危険に晒す、と。

この指摘は、的を射ていると思う。海での「海上警備行動」も同様で、軍が出動しても行動が警察と同じでは、危険極まりない。誰もが自衛隊を「軍」と見なすことは疑いようがないからだ。

 

自衛官は「不自由」と感じるレベルが一般人と違う

しかし一方で、自衛隊を語るにあたって、私たちが知らないポイントが1つある。

自衛隊の活動には、理論では割り切れないものがあるようなのだ。それは「現場感覚」と表現するのが相応しいかもしれない。自衛官たちはこの独特の感覚によって今回の法改正を「進歩した」と前向きに受け止めているのだ、と私は想像する。

何しろ、これまでは邦人に助けを求められたり、一緒に活動する他国軍に何かあったりしても、法的には見過ごすことしかできず、まったく行動が許されなかったのであり、その心中は耐え難いものだっただろう。

それでも、休暇をとって散歩に行く名目で偵察に出たり、もし危ない場面に出くわしたら正当防衛にするため「自分が盾になって撃たれるつもりだった」などという話は数多くあった。

そのような状況であったので、たとえ武器の使用には制限があったとしても、現場に駆けつけることが法に反する行為にならないだけでも「駆けつけられないよりはいい」という、いわば、「よりマシ」論である。「人の道」の話なのだ。

また、自衛隊ならではの現場感覚として、自衛官は「不自由」と感じるレベルが一般人と違う点も特徴だ。

とくに野戦の過酷な訓練をしている陸上自衛官は、たった1杯の水を飲めるだけで、あるいは靴や靴下を脱げるだけで、このうえない幸せを感じたり、物の足りないなかでも何とかしたりしてしまう天才である。陸上自衛官は、満足を感じる点において、私たちと大きな差があるのだ。

今回の改正は、これまで身体を100本くらいのロープでキツく縛られていたものが1本だけ解かれたにすぎない。

しかし、その評価が学者の先生たちとズレているのは、雨水でできた水溜まりで足を洗っただけで至福のときと感じる人と、常にもっと満たされることを求めている一般的な感性との差であって、つまりは、この感性の違いを議論しても、永遠に解決を見ないのだ。

いずれにしても「駆けつけ警護」は、「建てつけの悪い法」であることは間違いない。

これは賛成派・反対派ともに同意するところだろう。

もっとも大事なことは、これをして「自衛隊が何でもできるようになった」などという見方をするそそっかしい人がいないように、周知徹底することだ。この認識共有は政府関係者や在外邦人に、とくにお願いしたい。

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