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あせらず、あわてず、前に進む。

2011年10月20日 公開

塩沼亮潤 (慈眼寺住職・大峯千日回峰行大行満大阿闍梨)

《 『執らわれない心』より 》 

■ 「こうありたい」と念じ、日々努力を欠かさない

 私の昔の失敗談をお話しさせていただくことによって、何かしらの生きるヒントを得ていただけたら幸いです。
 その失敗とは、修行時代にある一人の人間がどうしても理解できなく、悩みの渦にいた時代がありました。なぜかその人にだけは自分のやさしさや思いやる心を素直に表現できない人がいました。僧侶となり、修行が進んでくると、嫌いな人の数はどんどん少なくなっていったのですが、最後までその人のことだけは、どうしても受け入れられませんでした。

 皆でヨーイ、ドンと真理を目指し修行がはじまりますが、個人の心の成長はさまざまです。中には自分のことだけしか考えていなかったり、自分が良くなるためなら人をけおとしてもという人と縁がある場合もあります。お寺といえども、すべてを悟った人ばかりではありません。迷いの中から真理を目指す人たちが集まって生活していくわけですから、会社や学校といった一般の方々の社会と何も変わりがありません。
 しかし、そういう人と緑があった場合は大変な精神的な苦痛を感じてしまうものです。 現在の心境であれば、そうしたマイナスの出来事も、仏さまが与えてくれた試練と受け止めてプラスに転じることもできるわけですが、若い頃の自分には頭でわかっていてもなかなかできません。

 「この人が嫌いだな」「苦手だな」と思っているのは、その相手に対して、執(と)らわれてしまっているからです。その人に執着してしまっているのです。その執らわれから解き放たれることで、精神的に自由になることができ、マイナス的なこともプラスに転じてより幸せに生きることができるようになります。
 自分で自分に言い聞かせます。「お坊さんならばどんな人でも分け隔てなく付き合えなくてはならない」。まさに頭ではそう思っていてもできない。それにもかかわらず人に真理の道を説いたならば、言葉に力がこもってないことになるし、偽善者と言われても仕方がありません。
 心がすっきりしないまま、迷いの渦の中で苦しんでおりました。

 しかし、あきらめずに努力をしていると、ある日あるときに奇蹟がおきたのです。「今までこの人を受け入れられなかったのは、自分の心が小さいからなのだ」と心から懺悔した瞬間にその人に対してやさしさを素直に表現することができました。するとその人からもやさしい言葉が返ってきて、人を思いやることも呼吸と何ら変わらないなと思いました。
 そして、「この人がいたからこそ、自分は成長することができた」と心から感謝したのです。その瞬間、マイナスの存在でしかなかったその人が、自分の成長のための存在だったということに気づいたのです。なぜ、そのような心境に至ったかというと、どんな人も嫌わず生きていきたいという気持ちを持ち続けていた結果、ある日自然にそれができていたのです。

 言葉では表現できないのですが、それは自転車の乗り方を覚えたときの感覚と似ています。何度も転んでケガをしてがんばって努力しているうちに、乗れるようになったという感覚みたいなもので、いつの間にか頭で考えるのではなく、自然にできるようになっていた、としか言いようがないのです。
 初めは何度も転んで、痛い思いをしても、「自転車に乗りたい」という意思を強く持ち続け、諦めずに練習するうちに、やがて誰でも自転車に乗れるようになります。一度覚えた感覚は生涯忘れません。しかしそうやって覚えた乗り方を、言葉や文字でうまく表現しなさいと言われてもできません。
 それと同じく、自分の心も「こうありたい」と強く念じ続けて、そのための努力を日々重ね、自分なりに探求していけば、やがて挫折と挑戦を繰り返しているうちに、自分が望む心持ちが具現化されてきます。

■ 何事にも執らわれない

 私はその嫌いだった人が好きになる経験によって、大げさに言えば、人生が180度好転しました。今までの人生の行はこのためにあったのだ、と気づきました。お山の中での厳しい修行だけが行ではありません。この世に生まれて、そして最後の一息まで人生の行は続きます。

 何事にも執らわれずに、日々自分の道を淡々と、真理に向かって歩いて行く。それだけのことなのに、なぜ迷いが生じるのか。人間は私をはじめ誰でも気ままわがままですから、どうしても自分の理想通りにならないと、そのことに執らわれてしまいます。
 何かに執らわれていると、人生がとんでもない方向に行ってしまう場合がある。
 自分が人生の悟りを目指す一艘の小舟だとします。真理の方向に向かって全速力で進んでいきたいのに、たとえば「あの人が嫌い」というたった一つの執らわれがあったとすると、重い何かを引きずって進んでいるのと同じことになります。たった一つの執着によって、自分自身の人生が意図しない、つまらない方向へ進んでいく場合があるから気をつけなければなりません。あらゆる執着を、忘れて、捨てて、許すこと。それが自分の人生を、幸せに生きるために、とても大切なことです。
 どんな人に対しても、恨みや憎しみの心を持たないこと、もし持ってしまったなら、今日より明日と、少なくする努力が自分の人生に幸福をもたらします。


◇書籍紹介◇

book_torawarenai.jpg 執らわれない心 日本人の生き方の原点に立ち返れ! 
塩沼亮潤 著
本体価格1,100円  

東日本大震災を境に「論理」や「理屈」の時代は終わった。それでは我々はどのようにこれからの時代を生きていけばいいのか。著者は、その答えのヒントは「原点を見据えること」にあると説く。原点をしっかりと見据え、日々実践すべきことを実践することで、マイナスをプラスに転じることができるからだ。
"あせらず、あわてず、前に進む"ための珠玉のメッセージを収録。震災後の"人生のあり方"を問い直す一冊。

 

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沼亮潤 

(しおぬま・りょうじゅん)

大峯千日回峰行大行満大阿閣梨

昭和43年、仙台市生まれ。昭和61年東北高校卒業。昭和62年吉野山金峯山寺で出家得度。平成3年大峯百日回峰行満行。平成11年吉野・金峯山寺1300の歴史で2人日となる大峯千日回峰行満行を果たす。平成12年四無行満行。平成18年八千枚大護摩供満行。現在、仙台市秋保・慈眼寺住職。大峯千日回峰行大行満大阿閣梨。
著書に『人生生涯小僧のこころ』(致知出版社)『心を込めて生きる』(PHP研究所)『〈修験〉のこころ』(共著・春秋社)などがある。


 



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