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計算ずくで撮ったものが、はたして『映画』といえるのか

三池崇史(映画監督),聞き手:五十川晶子(編集者/フリーライター)

2011年10月31日 公開 2022年09月29日 更新

計算ずくで撮ったものが、はたして『映画』といえるのか

<<バイオレンス、ホラー、ヒーローものや西部劇、そして海外でもコアなファンをもつカルト作品まで、さまざまなジャンルの映画を撮ってきた三池崇史監督。細身の革のパンツをスラリと着こなし、風貌はやんちゃなロック・ミュージシャン。かと思うと、おもむろにポケットから小さなデジカメを取り出し、インタビュー場所となった高層フロアの窓から暮れゆく空を何枚か撮影。画像を確かめながらニッコリと満足そうな様子は少年のようだった。監督の目には、世の中のすべてが映像素材として映っているのかもしれない。

2011年10月に三池監督の時代劇映画『一命』が公開される。市川海老蔵、瑛太、そして役所広司が出演、音楽に坂本龍一。時代劇初の3D作品という話題作だ。天下の井伊家に、「切腹をするのに当家の玄関先を借りたい」と浪人がやってくる……。三池監督自身が、この作品の隠れた魅力を語り尽くす。>>
 

「わからないから撮る」

五十川 10月15日に公開される映画『一命』、そして昨年公開された『十三人の刺客』と、時代劇の映画が続いていますね。

三池 そのあいだに、加藤清史郎君で『忍たま乱太郎』を撮ったんですけどね(笑)。さらに以前、山本周五郎作の『さぶ』の劇場版を撮りました。でも本格的な時代劇映画となると、ホントに初心者なんですよ。

五十川 『十三人の刺客』では、残虐極まりない暴君を暗殺する男たちの、そして今回は困窮した浪人とその家族の物語です。時代劇といってもずいぶんと印象が違う作品になりました。

三池 うん、やる気になれば、僕もいろいろつくれるってことですね(笑)。といっても、じつは侍とは何かとか、武士道とは何かということを理解して撮っているわけではないのかもしれません。いま、映画の時代劇というジャンルは、ほぼ消滅しかかっているんです。“時代劇らしいもの”というのはつくられてはいるんですが。じつは、あと5~6年もすると、本格時代劇をつくれる腕をもった現場の人たちがリタイアしちゃうぞという時期なんです。とにかく、それがもったいなくて。僕自身、子供のころは時代劇が好きだった。僕らが楽しんだ時代劇を、もっとつくろうよ! もっと楽しもうよ! という思いがありますね。

五十川 楽しんで時代劇をつくろうと。

三池 そう。映画って、観るのは楽しいんですけど、つくるのはもっと楽しいんですよ。ただ東京には、時代劇をつくる環境がほとんどなくて、京都の東映とか松竹の撮影所でなければつくれないわけです。ひと昔前までは、たとえば東映の撮影所に松竹の映画の監督が入っていって撮るというのは難しい状況だったんですが、僕も監督としてあれこれ映画をつくってきたなかで、「まあ、アイツだったら仕方ないか」みたいな流れができてきた。それで今回もほんとうにお世話になりました。

五十川 それも今回、本格時代劇映画では初めての3D撮影ということもあり、撮影所のみなさんも、ひと肌脱ぐぞという雰囲気でしたか。

三池 盛り上がりましたね。彼ら自身、思うような時代劇がもうつくれなくなってきている。そこへ市川海老蔵さんを真ん中に据えた本格時代劇映画でしょう。まさに海千山千の時代劇のプロたちが、つくり手として楽しんでくれたからこっちのものです。

いや、本番中とかテスト中は、たしかに重い雰囲気ですよ。切腹の映画ですからね。でも現場はもう面白くて楽しくて仕方がなかった。自分たちが楽しむことって、エンターテインメントとしていちばん大事なことじゃないかな。自分たちの楽しいものを追い求めていれば、きっとほかの誰かにとっても面白いものになるはず。とはいえ、いつもそううまくはいかないし、なかなか叶わないことですけれど。ただ、やっぱりほんとうに楽しかったですよ、今回の撮影は。

五十川 撮影所のベテランたちも、嬉々として、寄ってたかっていろいろと教えてくれたのではないでしょうか。

三池 そうそう。たとえば所作指導ね。時代劇出演は初めてという役者に、「そこで立ち上がって、そっちへ行ってくれ」と指示を出しても、武士として動けないんですよ。そもそも、どうやって座っていればいいのか、手の位置は、どう立ち上がるのか、刀はどのタイミングで持つのか、そのとき両手の位置は? ……という具合にわからないことだらけ。僕一人では、役者一人を武士として立って歩かせて、障子を開けて外に出すことさえできない。それこそ切腹はどうやるのか、文献読んだって実際のところはよくわからないし、ビデオに残っているわけでもないしね。だから、時代劇の所作指導をずっとやってきたベテランの役者さんに付いてもらって、時代劇としての常識を伝授してもらうんです。いわゆる時代考証とはまた違うんですよ。映像のなかでどう振る舞うべきか、ということですね。

五十川 監督がすべてを把握して、指導して撮る、というものでもないんですね。

三池 映画監督って、当然のように物語も頭に入っていて、すべての役の人間の心理を理解して、すべて計算ずくで演出をつけていく……と思われがちなのですが、はっきりいってそんなの無理(笑)。いつも俯瞰しながら、人を動かしているわけではありません。最初から「こういう映画にしたい」「この人物はこういう人である」といった確固とした前提はない。それに、そういう計算ずくで予定どおりに撮ったものが、はたして「映画」といえるのか。

五十川 自然に、その現場で偶然に起きてしまったことが大事だと。

三池 もっといえば、僕自身が「わからないから撮る」んですね。台本にある人物について、「そもそもあんた誰?」「どういう人?」というところから始まる。今回、『一命』で市川海老蔵さんが演じた浪人、津雲半四郎はそもそもどういう男なのか? なぜこのときこういう行動に出てしまったのか? 奴にとって武士とはなんだろう? そういう疑問も、撮っていくことで、役者が実際に動いてみることで、「ああ、そういうことだったか」と僕自身、腑に落ちる。

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市川海老蔵が放つ“異物感”“違和感”

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