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計算ずくで撮ったものが、はたして『映画』といえるのか

三池崇史(映画監督),聞き手:五十川晶子(編集者/フリーライター)

2011年10月31日 公開 2022年09月29日 更新

オリジナリティーなんてどうでもいい

五十川 出身ジャンルが異なる役者たちやベテランのスタッフたち、ひと癖も二癖もありそうな撮影所の人びと。そんな現場を動かす、彼らをその気にさせるために、三池さんは現場で何を行なっているのでしょうか。

三池 とくに、これといったことはしていないと思うんですよ。ワイワイやってるだけです(笑)。役者と飲みにいったりなんてしないし。役所さんとはつきあいも長いですが、プライベートな話なんて一度もしたことはありません。

スタッフともそうですね。助監督のアイツにどんな家庭があるのかなんて何も知らない。仲間になって徒党を組むのが苦手ですし。むしろ、冷たいと思われているんじゃないですか。

五十川 意外な気がします。“三池組”には団結力の強そうなイメージを勝手に抱いていました。

三池 なんかね、人をうまく動かそうとしてるということがみえちゃうのもどうなのかなって思うんですよ。つまりは、そんな余裕がない。必死なんですよ。時代劇の所作と同じで、どうすればいいかわからないから(笑)。まあ、たまたまです。たまたまうまくいった。それの繰り返しですかね。でも「たまたま」ということほど強いものはない。マネしようもないし。

でも助監督のころには、なんだかんだとあがいていましたよ。先輩の助監督のやり方をみて憧れるわけです。ここで仕切って、ここでスタッフにバーンと強くいって、プロデューサーと揉めて……先輩はやっぱりカッコいいな、デキる男はすごいよな。そう思って、午前中いっぱいその先輩のマネをしてみるんだけど、お昼ご飯を食べ終わるころになると、もうすっかり元の自分に戻ってしまっている。午前中に無理したせいで、午後は逆に元気なくなっていたり。結局、なるようにしかならないですよ。(笑)

五十川 『一命』は小説『異聞浪人記』(滝口康彦著)を原作としていますが、かつて同じ小説を原作とした『切腹』(1962年、小林正樹監督)という映画があります。今回、どんなふうに自分らしさを出していこうと考えましたか。

三池 オリジナリティーという言葉がありますが、僕はどうでもいいじゃないかと思う。みんな、自分らしさとか、自分の生き方とかいいますよね。洋服の好みはこう、音楽はこれって。でも、思い切り引いてみてみたら、北島三郎とレニー・クラヴィッツで何が違うのか。あまり変わらないじゃないか。何かといえば、自分らしさとか個性という。しかし、なんかおかしいんじゃないか。自分で自分らしさなんて意識するほうが間違っているわけでね。自然体で生きてれば、当然、他人とは違ってくるわけだし、自分らしさなんて、意識できないほど無我夢中になったときに初めて、自分でも気づかないその人の個性が自然に出てくるんじゃないのかな。自分で把握できる程度の自分らしさなんて、せいぜい「なりたい自分」なだけですよ。個性でも何でもない。

今回、慣れない時代劇をつくるために、ほんとうに多くの人の力を借りました。自分らしさとか、オリジナリティーについて考えている余裕はなかったし、逆に「自分らしさを出さなくては」という強迫観念からは、いつのまにか解放されていたかもしれないですね。
 

3月11日のまま、立ち止まる自分がいる

五十川 撮影所の事情など、映画を撮る側の状況は変わってきていますが、観客についてはいかがでしょう。

三池 いま上映される多くの映画には、「誰もが知っている作品だから」「原作のマンガが売れたから」「テレビで視聴率がよかったから」「あの事務所の力だよね」などと、ちゃんと映画になった理由がある。それと、観客のみなさんの知っていることを、そのイメージどおりにつくることが望まれる。逆に期待以上に面白かったり刺激的だったりすると、あまりよくないんでしょうね。

五十川 想定の範囲が望まれるということですか。

三池 そう。感動して泣くにしても、日常生活に戻れないほどではない。魂が泣いているわけじゃなくて、気持ちの表面の部分で心地よく泣ける範囲の作品が好まれる。「いや~泣けたね」と笑って、映画館から出られる程度の……。僕からすると、そっちのほうがよほど怖い世界ですよ。笑っているよ、この人たち、「泣けたね」っていいながら(笑)。難病で死んでいく人たちの話をこの人たち、なんか楽しんでいるぞって。もちろんそういう映画も必要だし、とにかく映画というものを多くの人に観てもらったほうがいいだろうから、僕がどうこういうべきものではないかもしれませんが。

僕は子供のころ、映画館でブーッとブザーが鳴って暗くなっていく瞬間が大好きでした。闇のなかで何がどんなふうに、何を観るのか、自分がどんなことになってしまうのか、まったく予想もつかない空間と時間だった。なおかつ、先の話と矛盾するようだけれど、自分は人と違うんだということを確認しに行く場所でしたね。

五十川 人と違うところを、というと。

三池 うん。僕は『座頭市』が好きなので、「オレ、これ好きだけどな」と言うと、友達は「おまえバカじゃねえの。あれ観にいったの?」。で相手が「このシーン好きだな」といえば、「これはダメだよ」なんていう具合に、お互いの感想をけなし合ったりするわけですよ(笑)。「オレは隣のヤツとは違う見方をするんだ」と、それを確認できるのが映画でした。

五十川 いまは違いますか。

三池 みんなが同じシーンで「そうだよね」と、泣いて笑って共感できる映画のほうが好まれているようです。場内がフッと明るくなったとき、みんなが同じような表情で映画館を出ていく。おそらく観客同士、仲間意識を抱けるものが好まれているのでしょう。それじゃ、なんだかつまらなくてね。求められているものをつくることだけが、われわれの仕事ではないんだから。

五十川 最後に、大震災から半年以上がたちました。映画監督として、いま感じていることを教えてください。

三池 3月11日の時点のまま、茫然と立ち止まっている自分がどこかにいる感じなんですよ。とりあえずは直接の被害もなく、何事もなかったように突き進んでいるけれど、確実にポコッと穴が空いていて、自分の片割れがそこでまだ立ち止まっている。いつかそいつと折り合いつけなきゃいけないだろうな、と。気になっているのは、あの大惨事そのものを堂々と撮ってしまった映画が、いまの時点でまだ一本もないということです。仮に100年後、日本映画史を勉強する奇特な青年たちがいたとして、いちばん不思議に思うだろうな。「当時の映画の人たち、何をしていたのだろう」と。目の前につくり物ではない、あれほどの凄まじい状況があるのに。

あの日以来、報道カメラマンたちの写真はある意味で傑作ばかりですよね。あの切り取り方はすごい能力だと思う。あの津波を目の当たりにしたら、たしかにそれを記録に残しておきたくなるはず。映像に携わる人間ならば、不道徳であるかどうかは別として、その衝動をもっていて当たり前なんですよ。でも「いや、いま行くと顰蹙買うんじゃないの?」と他人の目を気にしてしまう。とりあえず静観して、周りの出方をみる。そして誰かが何かやりはじめると、周りをみながらやっと動きはじめる……。モノをつくる集団がなんだか弱い人間の集まりになっていやしないかと思うことがありますが――いや、そうではない、そんなことはないよ、と信じたいですね。

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