ときど 僕が東大を出てプロゲーマーになった理由
2017年08月05日 公開 2024年12月16日 更新
※本記事は、ときど著『東大卒プロゲーマー』(PHP新書)より一部を抜粋編集したものです。
そこは熱い場所か?
「東大まで出て、なんでプロゲーマーになったのか」
必ず聞かれるこの問いに、問い返してみたいことがある。
「もし東大を出ていたら、あなたは何になりますか?」
医者? 弁護士? 一流企業に入社? なるだけじゃない。なったら、その職業に就いた人として実際に働き、年月を過ごすのである。こう考えてみるとわかるとおり、東大を出たからって、何か情熱をもっていなければ、別に何にもなりたくなどないのだ。
稼げる仕事。安定している仕事。華のある仕事。就きたい職業、就職したい企業のランキング上位には、そんな魅力的な「イメージ」の職や企業が連なる。しかし、実際に自分でその仕事に取り組んで、「イメージ」どおりの姿にもっていくためには、結局のところ、情熱というものが必要不可欠なのではないだろうかと僕は思う。
ゲームのプレイスタイルも合理的、勉強も効率よくこなし、実験ではゲームから学んだ型を応用することで結果を出せた僕は、物事には合理的に取り組めば必ずうまくいく、ずっとそう思っていた。
でも、合理的に取り組もうとしたとたん、自分にバグが生じた。そこで気づくことができたのだ。なぜ、レベル的に高すぎたわけではない研究室で、結果を出すことができなかったのか。なぜ、さんざん考えて導き出した就職志望先に勤めるのが、怖くなったのか。
ロジックや合理性は、情熱があってこそ生きるもの。情熱なしにそれらを振り回したところで、何も生み出すことはできないのだ。
我が身を振り返ってみればわかる。ゲームで合理的に敵を倒さんとしていたのは、早く、とにかく勝ちたかったから。どうしても勝ちたい、勝つ快感を味わいたい。その情熱と闘争心があったからこそ、徹底的にロジックを積み上げて、勝つ可能性を上げていった。
勉強も、「これさえきちんとやれば大好きなゲームができる」、その思いひとつで、短時間で成果を上げるべく効率化に懸け、これが功を奏した。研究も、情熱的に取り組んでいる先駆者がいたからこそ夢中になれ、夢中になれたからこそゲームで学んだ枠組みを応用するという飛び道具を出すことができたのだ。
僕の合理性は、僕の情熱が生み出したものだった。情熱から生まれた合理性こそが、僕を成功や達成感に導いてきた。だから僕は、自分が情熱を燃やせる仕事を選んだ。情熱をもって仕事をしている人間がいる世界を選んだ。
未開拓の道を歩んでいくことに、疲れ果てることもあるかもしれない。実際、このあと僕は、この情熱から生まれた合理性に食い殺されそうになる。
あるいは情熱の火そのものが消えそうになることも、もしかしたらあるかもしれない。
でも、ゲームの世界には、ウメハラさんを筆頭に、尋常ならざる力を持ったアスリートたちがわんさかいる。僕は、格闘ゲームに20年触れるなかで、彼らのスゴさを目の当たりにしてきた。ゲーム以外のことには一切無頓着という人が、いざ対戦が始まると超人的なプレイを見せて、対戦相手をねじふせる。
生まれも育ちも関係ない。学歴も社会的地位も関係ない。それぞれの情熱が生み出した美麗な技を決め、世界中の観客から喝采を浴びる。そういう特別な人たちがいる世界。
彼らのなかにいれば、僕の火がちょっとくらい弱まることがあったって、必ずまた火を分けてもらえるに違いない。
以前、大学の先生がいっていた。「かつてはJALが一番だったが、そのJALが経営破綻した。わからないものだね。いまだったら、インフラ系、東京電力が安泰だよ」。
その後、東日本大震災にともなう一連の出来事を経験した現在の僕らからしたら、笑えない冗談である。いわゆる安定した仕事、プロゲーマーという仕事、どっちを選んだところで、未来のことなどわからない。それならば、役に立たない論理など脇に置いて、面白そうなほうを選べばいいではないか。