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2045年、AIでなくなる仕事より、新たに生まれる仕事を考えてみる

2018年02月06日 公開

藤和彦(経済産業研究所上席研究員)

AIは音楽、絵画など、芸術分野にも進出

   芸術活動と言えば絵画や彫刻、クラシック音楽など堅苦しいイメージが強いが、「芸術は爆発だ」で知られる岡本太郎は「芸術の形式には固定した約束はない。技術の進歩に応じて時代毎に常に新鮮な表現をつくっていくべきである」と主張していた。

   技術の進歩と言えば感性的・直観的な思考を取得するようになったAIは音楽や絵画の分野にも進出してきている。また「インターネットでは視覚・聴覚以外は伝達することができない」とされてきたが、触感を操るテクノロジーがバーチャル・リアリテイの分野を中心に急速に発展しており、今後五感や世界認識のあり方そのものが変革する可能性が生じている。

  「アンドロイドのキスは甘いのか」の著者である黒川伊保子が「自分の中にある痛みや悲しみ、癒やしや美しさを他者に伝えることはAIにはできない。人間は芸術などで新境地を拓くことができるが、AIでは不可能である」と主張しているように、人間が創造する作品はこれまで以上に独創的であることが求められている。

   ここで改めて「芸術とは何か」を論じてみたい。

  「伝達不可能と思える心や頭の奥底から生じたイマジネーションをあらゆる表現手段を駆使して伝えていこうとする時に生まれる産物が芸術である」

   こう主張するのは「芸術とは何か」の著者である千住博だが、芸術はその時代の悩める人達へのメッセージである。「私の叫びを聞いてほしい」と人は歌い、その歌を聞いた人が「私の代わりに私の心情を歌ってくれる人がいる」と知り、孤独から癒やされるという共鳴現象は今も昔も変わりはない。

   芸術には「美」が欠かせないが、千住は「美とは五感を総動員して幸せを感じるもの、『生きていて良かった』という感性であり、体の中に元気のエネルギーを流していく感覚である」と主張する。

   モノに溢れ物質的に豊かになったものの精神的に満たされず心が飢えた時代に「人間性を生き生きとよみがえるきっかけを与える喜び」である美の価値は高まるばかりである。「なんとか人に自分の感じた美を伝えたい」とする気持ちが送られることに人は感動し、見えなかった絆の存在を触れて「私は一人ではない」と感じるのである。 

   岡本太郎は「あなたの職業は何か」と聞かれた際に「人間だ」と答えたように、今後人間自体が芸術作品になる時代が来るのではないだろうか。心を伝えあおうと想像力を働かせてコミュニケーションするという芸術の特質は人間の特質そのものだからだ。芸術家に基礎技術は必要だが、何より重要なのは人をモチべートする「熱量」ではないだろうか(AIは人間に熱量を伝えられることはできない)。 アウトプットを目的とせずにひたすら没頭することが大事になってくる。自分がおもしろいと思っていること(ドキドキすること)を夢中でやっていると知らない間にオリジナリテイに到達する可能性がある。百人集まれば百通りの「美」がある。

  実際インターネット上で本当に楽しそうに熱中して歌や芸を披露する者に対して人気が出ることが多い。「好き」は他の人々の世界に新しい意味を与えそれを楽しむきっかけとなるからである。好きなことに打ち込む熱量は見ている人を元気にする効果がある。

   現在のネット上の若者の活動はけっして褒められたものばかりではない(歌舞伎はかつては「悪態の所作」と揶揄されていた)が、「美は乱調にあり」。混沌の中からきらりと光るものが生まれ、徐々に醸成されて秩序らしきものが生まれていくことを期待したい。 情報革命により芸術活動の「民主化」「平等化」が一気に進んだ感が強いが、この現象は日本の伝統への回帰と言えるかもしれない。

「西洋では「天賦の才」が重んじられたが、日本では「修業を通じて誰もが名人になれる」という発想だった」

  こう指摘するのは「日本美を哲学する」の著者田中久文だが、日本における芸術活動は誰もが参加しうるものであり、創作者と享受者の区別なく相互に入れ替わる特徴を有していた(オタクの同人誌即売会であるコミックマーケットを想起せよ)。芸術家という存在も職業的に未分化だった。

   『99%の会社はいらない』の著者である堀江貴文は「以前は存在しなかった仕事を見かけるようになったが、特にネットを利用した仕事で顕著である。『遊びの達人』が10年後のビジネスを作る。仕事は娯楽であり、趣味であり、エンターテインメントであるべきだ」と主張するがけっして夢ではない。

   日本の歴史にはその前例があるからだ。

  江戸の庶民達は、大道芸人には気前よく投げ銭をはずみ、芸事を習い、歌舞伎や寄席に頻繁に繰り出したが、お互いに芸事を教え合い習い合う関係を築き上げていたのである。モノを大切に使いこなす一方で、「浮き世」を楽しくするため芸事に「なけなしの金」を投じることで自らが得意とする「芸」で身を立てることが容易な環境だった。

   現在インターネット上では「面白い」と思ったらその人に「投げ銭を送る(有料のアイテムを購入する」という行為が活発化しつつある。日常生活からできた「心のサビ」を吹き飛ばしてくれる熱量(情熱)が金銭的にも評価されているからだろう。

   夏目漱石は「住みにくい人の世を住みよくするのが芸術の役割だ」と主張したが、「人として生きるために社会に意味を求める」という点で江戸の庶民と現代の若者の間に通じるものがある。

 汎用AI時代になれば生産性が飛躍的に向上しモノの値段が劇的に下がることから、「投げ銭」だけで生活できるようになるだろう。
 

AI時代の花形産業は「熱量芸術」だ

   ピータードラッカーは1969年に上梓した「断絶の時代」の中で「土地・労働・資本という従来の生産要素よりも『知識』が重要になる」と予言した。その予言はコンピュータの発達やインターネットの普及など情報革命の実現で見事に的中したが、汎用AI時代が到来すれば「知識」は希少性を失いコモデイテイ化が急速に進む。

   知識(技術)がイノベーションの原動力だったが、アップルのiPhone(歴史上最も売れた工業製品)が性能よりもデザインや操作性でユーザーを惹きつけたように、今や知識(技術)よりも芸術的な要素がヒットの決め手になる時代になっている。

   最近の脳科学(神経美学)の成果により、「『美しい』と判断する際に機能する脳の部位が報酬系に属している」ことを明らかになったが、このことは高価な絵画の売買だけでなく「美」の鑑賞自体が新たな欲望の対象となりうることを意味している。

   カントは美について「手段~目的の関係にとらわれることなく享受することができる」と指摘したが、超高齢社会日本で美的価値はますます大きくなっていくだろう。美術展覧会やクラシック音楽会に足繁く通う高齢者は少なくないが、自らがネット上の芸術活動に参加し熱量を交歓しあうケースが増えれば、新たないきがいが生まれる。

   絵画の分野で高齢者の活動が盛んになってきている。2014年8月から3ヶ月間広島県福山市の博物館は「花咲くジイさん 我が道を行く超経験者たち」と題して「シルバーアート」の展覧会を実施したが、高齢男性の自由で活力に満ちた表現が来場者に大きなインパクトを与えた。何より際立つのは絵に投入される熱量の多さである。死ぬ覚悟を秘めながら前向きに生きていることが「輝き」を放ち、現在の職業芸術家が失った「描く喜び」がストレートに伝わってくるからである。

   このように筆者は今後の経済社会は「知識(技術)」に代わって「美(芸術)」が最も重要な資源となると考えている。汎用AI時代に「美」が経済活動のドライビング・フォースになるためには、個別作品(モノ)ではなく身体動作を通じた生命エネルギーの活性化をもたらす人々の行動(コト)にスポットが当たるようにしなければならない(「熱量芸術」という概念の確立)。

   ピータータスカは汎用AI時代が到来する「2050年の日本は100歳を超える多くの高齢クリエーターとその創作活動を支えるたくさんの老壮オタクが創り出す文化が花開く社会になる」と突拍子もない予言を行っているが、以上の議論からすれば至極もっともな目標と言えるのではないだろうか。

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