「習近平皇帝」誕生の今こそ、「脱中華の思想史」が必要だ
2017年10月24日に閉幕した中国共産党全国大会は、党の第19期中央委員会を選出し、その翌日の25日、中央委員会が第1回総会を開いて最高指導部メンバーである政治局常務委員を選出した。だが、そのなかには、習近平総書記の後継者と思われる50代の人物が一人もいなかった。このことは、実は大きな意味を持つ。習近平政権以前の江沢民政権時代と胡錦濤政権時代、最高指導者は2期10年を務めたのち、次世代の後継者にバトンタッチされることとなっていた。だが、習氏が五年後にこれを破って3期目に入った場合、さらにその5年後の党大会でも引退しない可能性さえ出てくるのである。習氏は2期10年どころか、4期20も権力の座にしがみついて、毛沢東に近い「終身独裁者」となっていくこともありうる、ということである。
習氏は、今回の党大会で誕生した新しい政治局に自分のかつての部下・同級生・幼なじみを大量に送り込み、党の指導部を自分の側近で固めた。そして今、「習家軍」(習家の兵隊)と呼ばれるそれらの側近幹部が中心となって、共産党党内で習氏のことを全知全能の偉大なる指導者として「神格化」する動きが広がっている。幼稚園の園児までがテレビの前に座らされて習氏の演説を聞かされたり、年寄りが公園で習氏を讃える歌を歌ったりするような、まさに毛沢東時代の文化大革命期さながらの風景が再現されているのである。
このようにして、2017年10月の共産党大会の前後に、毛沢東時代晩期を特徴づける終身独裁・個人崇拝・側近政治などの悪しき伝統が一気に復活してしまい、中国共産党政権は40年前に先祖返りしたかのような様相を呈した。
かつて、毛沢東は27年間の治世において、実質上の「皇帝」としてふるまい、天下万民に対する絶対的な支配を行なった。今、習近平はまさに第2の毛沢東、すなわち中国の新しい「皇帝」になろうとしているかのごとくである。中国共産党は習氏のことを「歴史的使命を背負う偉大なる人民の領袖」と持ち上げると同時に、彼の思想を「習近平思想」として党の規約に盛り込み、習氏を共産党の「教祖様」に祭り上げようとしている。
このようなやり方は、「天命思想」を持ち出して皇帝の絶対的権威と権力を正当化していった、かつての儒教思想のそれと何ら変わらない。
そして今、中国国内の官製メデイアの宣伝では、習近平氏が「懐の深い指導者」「慈悲の心に満ちた指導者」「高遠なる知恵を持つ指導者」「至誠大勇の指導者」として賛美されている。つまり中国共産党政権は、伝統の徳治主義に基づいて「徳のある人格者」としての習近平像を作り上げている最中なのである。あるいは、「徳のある偉大なる皇帝」の虚像が、まもなく完成するのかもしれない。
その一方で、新しい「皇帝」となった習氏は、「中華民族の偉大なる復興」というスローガンを掲げ、「大国外交」の推進によって中国を頂点とした新しい世界秩序の構築、すなわち「中華秩序」の再建を図ろうとしている。彼らがイメージしたこの「新しい中華秩序」においては、アジアとその周辺の国々は、経済的にも政治的にも中国の軍門に下って、中国を「覇主」として仰がなければならない。この点もまさに、儒教的「中華思想の世界観」そのものの現実化であり、古き悪しき中華思想の復活なのである。
21世紀初頭の今、中国では古色蒼然たる「皇帝」が再び登場し、天命思想・徳治主義・中華思想の3点セットの悪しき儒教思想の伝統も見事に復活してきている。これを見ていると、中国という国は本質的には永遠に変わらず、儒教思想の束縛から永遠に脱出できないことが、よくわかってくる。
同時に、同じアジアの国でありながら、われわれが生きるこの日本が、海の向こうの中国といかに大きく異なっているかも、よく見えてくるのである。
このような違いが生じた理由として、もちろん、さまざまな政治的、地理的要因も挙げられるだろう。だが、日本の先人たちが思想の面において、「脱中華」の努力を絶えることなく続けてきたことが、日中の違いを生じさせた主要な要因の1つとなっていることは、誰も否定できまい。「脱中華の日本思想史」の歩みがあったからこそ、今の日本は大陸の中華とは違って、素晴らしい伝統に立脚した、良き近代民主主義国家となっているのである。
現代中国と日本との落差と違いを決定づけた「脱中華の日本思想史」とは、一体どういうものか。飛鳥時代から明治までの日本思想史を「脱中華」という視点で捉え直すと、実にダイナミックで、知的刺激に満ちて興味深い、まさに大河のような連綿たる流れが浮かび上がってくるであろう。そして、「脱中華」に懸けた各々の日本人思想家たちの誇りや矜持は、現代を生きる日本人にも多くの知恵と勇気を与えてくれるはずである。