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天命思想、易姓革命がもたらした中国史の悲劇

2018年02月05日 公開

石平(評論家)

中国天壇
 

政治権力を正当化する「御用思想」としての儒教

中華文明は、世界最古の文明の一つであり、とりわけアジアにおいて圧倒的な影響を周辺諸国に与えつづけてきた。だが、東アジアにおいて、ただ一つだけ、中華文明から完全に脱却し、独立自尊の文明国として立ちえた国があった。

その国こそ、日本である。

なぜ日本は、これほど巨大な中華文明から離脱することができたのか。このことについて考えるためには、まず初めに、思想としての「中華」とは何かということを明らかにしておかねばなるまい。

中国の長い歴史のなかで、特に紀元前5世紀から紀元前3世紀にかけての春秋末期と戦国時代において、いわゆる「諸子百家」と呼ばれる思想家が輩出した。儒家、道家、墨家などの思想である。

しかし紀元前206年から中国を支配した前漢王朝の時代、皇帝の政治権力によって「儒家の思想」だけが国家的イデオロギーに祭り上げられて、いわば「国教」としての儒教となった。それ以降の2千数百年間、「儒教思想」はほとんどの期間を通じて支配的地位を保ち、中国思想の中核をなしてきた。

儒教は、中国の「国教」として君臨したその長い歴史を通じて、皇帝の権力を後ろ盾として中国における支配的地位を得ていた。当然、儒教は皇帝に奉仕するべき存在であった。そのために儒教は皇帝の権力と権威を正当化するような思想と化してしまい、いわば「御用思想」としての性質を帯びるようになった。

というよりもむしろ、最初から政治権力を正当化するような性格を持っていたからこそ、儒教思想は漢王朝皇帝のメガネに叶って国家的イデオロギーとして採用されたのである。そして同じ理由によって、儒教は前漢王朝以後の中国歴代王朝でも重宝されつづけた。

かくして、前漢王朝以来の中国思想史において、政治権力を正当化し、それを補完する役割を担うことが、儒教思想の最大の特徴となった。このような儒教思想が、中国思想の中核を占めてきたのである。

日本が中華文明からの影響を受け始めたのは、前漢王朝のあとの後漢時代(西暦25〜220年)であり、中国思想が本格的に日本に伝来したのは、後漢の時代から遥かのちの隋(581~618年)や唐(618~907年)の時代である。したがって、日本に伝来して、さまざまな影響を及ぼした中国思想は当然、「儒教」を中核とする中国思想であった。
 

天命思想が、なぜ中国史の悲劇を生んだのか

このような中国思想の中身とは何であったのか。

中核的な要素の一つはすなわち、「天命思想」と呼ばれる考えである。

儒教思想の世界観においては、自然万物・森羅万象の絶対的支配者は「天」というものである。それは自然界の「天空」であると同時に、キリスト教のいう「神」に相当する、唯一にして全知全能の神聖なる存在である。

森羅万象と同様、「天下」と呼ばれる人間世界も「天」によって支配されている。しかしその場合、「天」というのは沈黙の支配者であって、自らの意思を何も語らない。

ならば「天」は一体どうやって人間世界を支配するのか。そこで出てくるのが、「天子」と呼ばれる皇帝の存在である。

「天」は自らの意思を直接、語りはしないが、人間の世界から誰かを自分の「子」として選び、「天子」であるこの人に支配権を委譲する。そして「天子」を通して人間世界を支配するのである。

その際、「天」が人間世界の支配権を特定の人間に委譲することは、すなわち「天命」をこの人に下すことであり、「天子」に選ばれて天命を下された人間がすなわち皇帝となる。

さらに、委譲された支配権は、「天命」を下された皇帝本人が持つだけでなく、その子孫にも受け継がれていくこととなる。

皇帝とその子孫たちの統治権は「天」から委譲されたものであるとされるので、その正当性はまさに神聖なる「天」によって保証されたものとなる。人間世界の誰もが認めるべきものであって、人は誰もが、「天」の子である皇帝に服従しなければならない、という理屈になる。「天命思想」はまさにこのようにして、皇帝という権力者の権威と権力を正当化し、人々を従わせようとするのだ。

しかし、「天」が誰かを選んで天命を下し、支配権を譲ることができるなら、「天」は支配権の委譲を撤回することもできることになる。もし、「天」から支配権を譲られた皇帝とその子孫が、「天」の意思に背いて悪事を働いたり責務を放棄したりして天下を乱したら、「天」はいつでも自らの下した天命を撤収して、それを別の人に下す。つまり別の人間を「天子」として改めて選び、天下の支配権をこの人に譲るのである。

「天」が「天命」を今の皇帝から回収して別の人に下すことが、すなわち「革命」である。

「革命」という漢語の本来の意味は、まさにこのことを指す。

天が「革命」を行なった結果、天下の支配権は当然、「劉」や「楊」などの姓を持つ皇帝とその一族から、「李」や「朱」など、別の姓を持つ人とその一族に移っていくことになる。

この政治的大変動が、すなわち、中国史を彩る「易姓革命」である。

もちろん、実際の易姓革命は大抵、前王朝の失政によって天下が乱れた結果、誰かが反乱を起こして前王朝を潰し、新しい王朝を立てる、というプロセスである。だがとにかく「天命思想」の理論上においては、このような政治変動は、「天」の意思による「易姓革命」の実現として解釈されるのである。

こうしてみると、儒教の「天命思想」は、皇帝の政治権力を正当化する思想であると同時に、皇帝の政治権力の剝奪と権力の交代を正当化する思想でもある。このようなイデオロギーの支配下では、王朝と皇帝の権力は「天命」によって保証されるが、同じ「天命」によって「易姓革命」の正当性もまた保証されることになるのである。

それゆえ天命思想の下では、「皇帝による人民の絶対的な支配」が中国歴代王朝の絶対的政治原理となる一方で、皇帝の絶対的支配を打ち倒して新しい皇帝の支配権を確立する「易姓革命」もまた、伝統的な政治原理となった。この二つの政治原理が同時に働いた結果、社会的大動乱や内戦の周期的発生と、政治権力の残酷さが、国政治を彩る大きな特徴となっていったのである。

これはつまり、こういうことである。一人の皇帝が王朝を立てて支配体制を確立すると、神聖なる「天」によって「天命」が自分と自分の子孫に下されているとの論理から、皇帝は自分と自分の一族こそが天下の主人だと思ってしまう。そして天下万民を「私物化」してしまい、収奪と支配をほしいままにするのである。

その一方で、皇帝とその一族は、易姓革命の発生を何よりも恐れる。それゆえ、日々、国内のあらゆる不穏な動きに目を光らせ、危険分子と思う人々に容赦のない弾圧を加える。

「易姓革命」の原理においては、天下万民の誰もが反乱を起こして新たに天命を勝ち取る可能性があるわけだから、皇帝とその一族にとって、民衆は「支配・収奪の対象」であると同時に、常に監視して統制しておかなければならない「敵」でもあるのである。

かくして中国では、天下万民は支配・収奪・統制の対象となり、常に不平不満を持つ存在になる。それゆえ王朝の支配と収奪の度が過ぎて、人々の最低限の生存権が脅かされるようになると、人々のなかから必ず反骨の人が出てきて、自分こそが新たな「天命」を受けたと宣言して反乱を起こす。そしてその反乱が成功すれば、反乱者は必ず前王朝の皇帝一族を根こそぎ殺してしまい、死屍累々の上に新しい王朝をつくり、前王朝の行なった支配と収奪と統制を繰り返していくのである。

だが、周期的な「易姓革命」が起きるたびに、中国という国は短くて十数年、長ければ百年以上の内戦状態に陥ってしまい、時には国民の半分以上がそのなかで命を失うことになる。しかも、「易姓革命」の動乱と内戦が起きるたびに、今まで蓄積してきた社会の富と文化的財産が破壊し尽くされ、歴史が一度リセットされることになる。このように、中国の長い歴史において、天命思想と易姓革命から生まれたものは、支配と収奪と統制、そして周期的な動乱と戦争であった。このような歴史は天下万民にとって、苦難の連続以外の何ものでもなかった。

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