企業不祥事は、なくなることのない 「人災」である
2018年04月23日 公開 2018年04月24日 更新
不正の隠ぺいやデータ改ざんなど、企業不祥事は繰り返し起こっている。明治学院大学の大平教授によると、その根底には、時代性や外的な要因はもとより、人間は必ずミスをするという「人災」としての側面や、危機で露わになる経営者の人間性などが大きく影響しているという。なぜ不祥事は起こるのか。
大平浩二(明治学院大学経済学部教授)
おおひら・こうじ*1951年香川県生まれ。慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程単位取得。専攻は経営学説史、経営組織論。経営哲学学会元会長。日本経営教育(現マネジメント)学会元常任理事、日本経営学会理事、日本学術会議研究連絡員などを歴任。著書に『生かされている哲学』(PHP研究所刊)など多数。
取材・構成:坂田博史
写真撮影:吉田和本
不祥事は「人災」だから、この世からなくならない
近年、企業においてコンプライアンス(企業が法律や企業倫理を遵守すること)や内部統制の重要性が叫ばれています。にもかかわらず、企業の不祥事があとを絶ちません。
2017年に注目を集めた企業不祥事だけでも、神戸製鋼所の製品検査データ改ざん、日産自動車やスバルで発覚した無資格者による完成車検査、JR西日本の新幹線のぞみ号の台車亀裂などがありました。
企業ではありませんが、大学の入試問題にミスがあり、それを長い期間認めなかったというケースもありました。
神戸製鋼所のデータ改ざんは少なくとも十年ほど、日産やスバルの無資格検査は30年以上も行なわれていたとされています。
つまり、不祥事とは、表面化してはじめて不祥事になるのであって、外部の私たちがその存在を知ることができるのは、不正が外部に表出した場合に限られます。表面化していない隠ぺいされた不正は、不祥事以上に多くあると考えるべきでしょう。まさに、企業の不祥事は不正の「氷山の一角」にすぎないのです。
また、不祥事か、不祥事でないかの境界線は、実は曖昧なものです。法律違反であれば明らかな不祥事ですが、法律違反ではなくても、社会的良識で考えて不祥事と呼ばれるケースもあります。
例えば、工場排水が法律で決められた排水基準を満たしていたとしても、強い異臭を放って近隣住民に迷惑をかけていたり、健康不良を訴える住民がいたりすれば、不祥事と呼ばれることもあります。
実際、神戸製鋼所のデータ改ざんも、顧客企業との契約違反ではあっても、国が決めた安全基準を下回るような法律違反ではありませんでした。
このように、不祥事の定義や範囲には様々な見方があるといえます。ですが、不祥事が起き続けていることには変わりがありません。では、なぜ不祥事はなくならないのでしょうか。
その理由は簡単です。不祥事は「人災」だからです。
企業不祥事は、近代に「企業」という概念が生まれてからここ200年くらいの歴史しかありませんが、不祥事は人類の歴史を振り返ってみればわかる通り、何千年も前からあります。
人間は間違いを犯す存在です。そして、人間には防衛本能が備わっていますので、自分の間違いによって自分の責任が問われることは避けたいという心理が働きます。そして自分の間違いを、もっともらしい理屈をつけて隠ぺいしようとします。ある意味で賢い人ほどこの理屈づけがうまく、巧みに隠ぺいしますからやっかいなのです。
自分の間違いを素直に認めて明らかにすることができればいいのですが、人間はそれほど精神的に強くはありません。人間の本性は苦境の時にこそ現れるといいますが、面子にこだわって隠すこともあれば、嫉妬、驕り、油断、甘え、決断を先延ばしする怠慢、知らないふりをする黙認などによって、不正の隠ぺいが始まることも多々あります。
間違いを犯さない人間はいません。そして企業を構成しているのは人間です。したがって、企業において間違いや失敗、ミスが起きるのは当然のことといえます。
ですから、不祥事は「人災」であり、人間が存在する以上は、この世からなくならないということを踏まえて防止策を検討すべきである、というのが私の基本的な考えです。
※本記事は、マネジメント誌「衆知」2018年3・4月号、特集「松下幸之助流で企業不祥事に対する」より、一部を抜粋編集したものです。