※本稿は松浦弥太郎著『愛さなくてはいけないふたつのこと』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです。
ある日、僕はこんなことを考えました
ある日、僕はこんなことを考えました。
日々、暮らしや仕事のなかで僕らを動かしているものはなんだろうと。僕らは何によって動かされているのだろうかと。そして、あるときふとこんなことに気がついたのです。もしやと。
それは私たち人間すべてが共通して抱いている心の根底に潜むもの、私たちはつねに何かにおびえているのではないかということです。私たち人間は、強くは見えても、誰もが弱いいきものです。
他人に対してはいくら強くあっても、自分自身に弱いのが人間です。しかし、その弱さと向き合ったり、弱さを受け入れたりするのは、なかなか難しいことです。気がつくことだけでも難しいでしょう。誰だって弱さを隠したいからです。弱さを認めたくないからです。
では、私たちは何におびえているのでしょうか。それは「恐怖」と「寂しさ」だと思います。私たちはつねにこのふたつにおびえて暮らしているのです。それはあなた一人だけではないでしょう。
人間であれば、いわばそれが生きている証(あかし)でもあるのです。誰もがみんなそのふたつを背負っているのです。そして、そのふたつが私たちの暮らしと仕事、人生を動かしているのです。
たとえば、仕事を一生懸命おこなう。仕事の動機は社会貢献でもあり、自分白身を高めていくこと、経済的安定を手にすることでもありますが、それよりもっと根っこにあるものは、貧乏になるのが怖い、人と比べて劣ってしまうのが怖い、社会人として疎外されるのが怖い、というさまざまな「恐怖」。
つねに新しい洋服が欲しい、身なりを良くしたい、やせてスマートになりたい、そんなことも、他人から悪く見られたくないという「恐怖」が根っこにある。
非常時に備えて買いだめをしてしまう。少しでも健康になりたいからそれに役立つ薬や食品を買う。こういったことなども、もしこうなってしまったらという自分が思い浮かべる「恐怖」が動機になっているのでしょう。
たとえば、大げさでもなく、戦争というものさえも、もしや……という「恐怖」がそうさせているのだと思うのです。こうありたいという思いの裏側には、そうならなかったらどうしようという「恐怖」があるのです。
みなさんの日々を思ってみてください。「恐怖」が自分を動かしているものだらけでしょう。もしそうなったら怖いから……という「恐怖」。
もうひとつは「寂しさ」です。たとえば、ツイッターやブログなどは典型ですね。つねに誰かとつながっていたいという気持ちは「寂しさ」を忘れたいからです。
誰かを好きになること。結婚をすること。友だちをつくること。グループに入ること。人とおしゃべりすること。手紙を書くこと。そして、何か言分を表現することや、発信することも「寂しさ」が根っこにあります。
とくに人間関係においては、「恐怖」と「寂しさ」の両方があらゆる行動や考えの動機になっているのではないでしょうか。残念なことに、日々起こるさまざまな犯罪も、人をおびやかすこのふたつが起こしていることではないでしょうか。
いや、そんなことはないと思う人もいるかと思います。しかし、先にも書きましたが、人間は誰しも弱いのです。なにひとつ失いたくないのです。
大切なのは私はそんなに強くない、弱いんだ、ということを受け入れることです。そして、「恐怖」と「寂しさ」から逃れることはできないと知ることです。逃げれば逃げるほど、そのふたつは追いかけてくるでしょう。そしてさらに「恐怖」と「寂しさ」に悩まされるでしょう。
では、そうであれば、日々私たちをおびやかす、この「恐怖」と「寂しさ」というふたつのことにどのように対処したら良いのでしょうか。安心してください。それはそれほど難しくはありません。
まずは決して逃げずに受け止めることです。心に潜んでいる「恐怖」と「寂しさ」を認めてあげることです。もっと言うと、このふたつと友だちになってしまえばいいのです。当たり前と思えばいいのです。
この本 『愛さなくてはいけないふたつのこと』 で書いたことは、すべて「恐怖」と「寂しさ」と、友だちになるために役立つ考え方や思い、それらとの上手なつきあい方です。
自分が自分らしく生きていくために、友だちのように愛さなくてはいけない、ふたつのことがあるということを学ぶためのヒントです。「恐怖」と「寂しさ」と少しでも仲良くなれば、心はいつもおだやかでいられるでしょう。自分を責めることもなくなり、他人をゆるすこともできるでしょう。それはきっと幸せへの小さな一歩にもなるでしょう。
できれば認めたくない、向き合いたくない、ごまかしておきたい、そんな一見マイナスなイメージである自分の中にある「恐怖」と「寂しさ」と、すなおな気持ちで向き合ってみてください。それは自分の弱さを知ることであり、自分をゆるすことでもあります。
そうすれば、こわばった力がすっと抜けて、きっと楽になります。そして、このふたつをしっかりと愛しましょう。愛すれば愛するほど、「恐怖」と「寂しさ」はあなたを強く守ってくれる力になるでしょう。
将来が不安なあなたに
旅に出るとき、驚くほど荷物が多い人がいます。
雨が降ったときのための折りたたみ傘、傘もさせないほどの嵐に備えて雨合羽、履きやすい靴とレストランに行くときの靴は用意したけれど、もしも大雨が降った場合は、長靴もいるだろうか?
次から次へと想像をふくらませて、どんどん荷物を増やしていきます。
たいてい、それは楽しい想像ではありません。
「こんなふうになったら困るな」
「こんなことがあったらいやだな」
起こってほしくない未来への想像をしていることが多いようです。
これが旅行なら、外国でも国内でもしばらくのあいだ荷物が重くなるだけですが、生きていくうえでの旅であれば、いささか深刻です。
心の荷物はかたちがないので、カバンは重くなりません。その代わり、毎日そのものが、だんだん、重たく、自分にのしかかってきます。
「もし、こうなったら、どうしよう?」
未来に対する不安というのは厄介なもので、どんどん加速するうえに、ブレーキがついていません。
旅の荷物と違って、「雨が降るかもしれないと不安だから、傘と長靴を用意する」といった、シンプルな対策をとることもできません。
当たり前の話ですが、未来というのは外国旅行よりもはるかに広大で、そこで起こるであろう出来事も、さまざまなのですから。
放っておけば、不安はどんどんふくらみ、「もう、どうしようもない。どうすることもできない」と、座り込んでしまうかもしれません。
生きていくうえでの旅には、「確実に安全で準備万端」という荷造りはできないものですから、旅をすること自体を、やめたくなるかもしれません。
つまり「こうなったらどうしよう」と、不安をふくらませ続けて、一人でじっと、同じ場所にぽつんと座っているようなことになりかねないのです。
そうすると、寂しさが霧のようにたちこめてきて、ますます先が見えない状況になってしまいます。
「未来に対する不安と寂しさ」にとらわれる人は、先のことを考えすぎてしまう癖があるのだと僕は思います。
「これで、明日は大丈夫だろうか?」
「このままでは、来年だめになってしまうのではないか?」
「自分の将来は、どうなるのだろう?」
もしもあなたも同じだったら、こういうふうに思ったらいいんじゃないかと、僕が感じることがひとつあります。
それは、今、目の前で起きていることだけに向き合い、対処すること。
明日でもなく、あさってでもなく、来年でもなく、10年後でもなく、「今」だけに集中するのです。
仮に、先のことを「たぶん、こうなるだろう」と予測できたとしても、実際に起きるまでは、あえて忘れて放っておく。
基本の考え方を、こう決めてしまうと「不安な未来」は遠のいていく気がしています。
本当のところ、「未来に対する不安と寂しさ」にとらわれる人というのは、「今、目の前で起きていること」に向き合いたくないから逃げています。
夏休みの宿題をやるのがいやだから、「こんな勉強をしたところで、大人になって役に立つのだろうか? 意味がないんじゃないか?」などと考えはじめて、目の前の宿題から逃げている子どもと同じようなものです。
「未来に対する不安と寂しさ」にとらわれる人が、子どものように愚かだと言いたいわけではありません。僕たちのほとんどは、「今、目の前で起きていること」から逃げ出したくなる、人間という弱いいきものだということです。
「こんな仕事をしていても先行きが暗いから、来年は資格でもとろうか?」
「この人とつきあっていても将来が見えないから、誰か別の人を探そうか?」
こうした「未来に対する不安と寂しさ」は、誰の心にもよぎるものです。
「今」だけに集中し、逃げない。こう決めてしまうと、やるべきことが決まります。
今、起きていることを、順番に、ひとつひとつ、ていねいに片付けていく。やるべきことは、それだけです。ただそれだけですが、具体的に行動しているわけですから、不安が勝手にふくらむことはありません。
また、未来に何か大変なことが起こると気づいたなら、気づいたというだけで、たとえ何もしなくても、無意識に対処しているものです。
「今の片付け」は一見、関係ないように見えても、未来に起こる大変なことに対処するために役立つ気もしています。今、起きていることから逃げたり、ごまかしたり、はぐらかしたりしない強さをそなえれば、未来への不安も寂しさも消えていきます。
松浦弥太郎
(まつうら・やたろう)
1965年、東京生まれ。『暮しの手帖』編集長、「COW BOOKS」代表。高校中退後、渡米。アメリカの書店文化に惹かれ、帰国後、オールドマガジン専門店「m&co. booksellers」を赤坂に開業。2000年、トラックによる移動書店をスタートさせ、2002年「COW BOOKS」を開業。書店を営むかたわら、執筆および編集活動も行う。2006年より『暮しの手帖』編集長に就任。