桂歌丸師匠の最後の演目 「小間物屋政談」を語る
2018年07月27日 公開 2020年02月07日 更新
<<笑点の歌丸としてではなく、噺家歌丸としてーー。「笑点」司会者を引退後も、古典落語の掘り起こしをより熱心に行い、高座にかけてきた桂歌丸師匠。
ここ数年は体調のこともあり、高座でも比較的短いネタをかけることが多かった師匠だが、自身の体調についておなじみ酸素吸入の管のエピソードを引き合いに、噺の枕で客席の笑いを大いにとった。
「笑いある人生」「先代たち、落語の神様へのご恩返しを」という歌丸師匠の、落語へのこだわりは並大抵のものではない。
歌丸師匠のお気に入りの演目を通して、芸にかける本人の思いを紹介したい。2018年4月、歌丸師匠最後の高座となった国立演芸場での演目「「小間物屋政談」について。>>
噺百篇、何度もやると見えてくる
……これは、人助けをしてやったばかりに死んだことにされ、おまけに夫婦の縁まで失ってしまう、そんな話が最後に思わぬ結末を迎える人情噺です。「政談」とは、いわゆる大岡裁きのネタのことをいいます。
初演は一九八〇年、あたくしが長らく独演会をしていた三吉演芸場でした。でもその時は、お客さんの反応が芳しくなかった。噺が硬すぎるように感じて、それで自分でお蔵入りにしてしまった。
長いことそのままになっていましたが、朝日名人会のプロデューサーに勧められて、また演じるようになりました。
噺百遍といいますが、何度も高座にかけるうちに見えてくるものがあるんですね。噺の無駄がわかり、客席の反応を見てよくなっていったんだと思います。
『小間物屋政談』は、六代目三遊亭圓生師匠の持ちネタです。協会が違うという遠慮もあって、稽古をつけてもらう機会はありませんでした。
でも、いちど、北陸の興行でご一緒した際、楽屋で義太夫の『絵本太功記』、十段目を聞かせて頂いたことがあります。
ご本人は「高座に上がる前の喉調べ」とおっしゃっていましたが、ぴったり差し向かいで一時間以上。こっちは緊張と興奮と、正座のせいであちこちしびれて参りました。
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