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生き方

こだわらない、とらわれない~松下幸之助 心を強くするヒント

大江弘(PHP研究所社会活動部長)

2019年03月22日 公開 2022年10月27日 更新

松下幸之助
 

こだわらない、とらわれない

二人の僧侶が旅の途中で急流の川のほとりにたどり着ついたところ、ひとりの女性が川を渡れず困っていました。女性に触れてはならないという戒めがある僧侶にとって、どうすべきか悩ましいところです。ところが年配の僧侶は、何も言わずにそっと女性を背負い、川を渡り、向こう岸で降ろして何もなかったかのように歩き出しました。若いもう一人の僧侶は、その行動に驚くとともにじっと考えながらともに歩き続け、しばらくして次のように注意しました。「僧侶は女性に触れてはいけません。それなのに、 あの女性を背負って運ぶなんて。あなたは戒を破ったのではありませんか」すると年配の僧侶はこう答えました。「私は岸辺に女性を降ろしてきたが、お前はまだ背負っているのか」 

女性にとらわれる。戒律にとらわれる。そのため適切な判断ができず、なすべきことをなせなくなってしまう。さらにいつまでも過去の事柄に執着していては、目の前のことに対応することができません。こうした姿も心の弱さの一つでしょう。つまり強い心とは、とらわれることなく柔軟に物事を考え、判断し、行動できる心とも言えるのです。

「人間というものは、ともすれば何かにとらわれて、迷ったり、人間関係をこじらせたりしがちなものです。ぼくの今日までを顧みても、毎日、憤慨したり、他人のことをうらやんだり……。だんだん少なくなりつつあるとはいえ、これまではずいぶんそうした経験がありますな。でも、そうした心を持っていない人はおそらくこの世に一人もいないのではないかと思うのですよ。もちろん、そのあらわれる度合いや程度は、人によっていろいろだと思いますが、しかし〝おれはいまだかつてそんなとらわれた心を持ったことがない〟というような人がいたら、ウソだと思いますな。それは、欲望や感情を持っている人間なら当然のことで、そうした心の動きがあればこそ、また人生における満足や幸せも生まれるのですね。
だから、大切なのは、欲望や感情をなくそうとするのではなく、それにとらわれず善導することです。折々に反省し、とらわれを極力排していかなければならないということでしょう」(『人生談義』)

このように松下幸之助が指摘する通り、いつまでも失敗にとらわれていたのでは、新しいことに挑戦する勇気はわいてきません。失敗にくじけることなく、成功するまで何度でも取り組み続けるためには、失敗は失敗としてあるがままに認め反省しつつも、それにとらわれないことがきわめて大切なのです。

また、私利私欲のままに、自分さえ儲かればいいと他を顧みなければ、世間に大きな迷惑をかけることになります。おそらくそれは、人間関係を壊すなど、巡り巡って自分自身の仕事を邪魔することにもなりかねません。そもそも私利私欲にとらわれてことを行なおうとすれば、何となく後ろめたさを感じ、力強く活動することができないでしょうし、成果もなかなか上がりにくいにちがいありません。

先入観や偏見、感情についても同じことが言えます。それらにとらわれていたのでは適切な判断はなかなか下せないことでしょう。もとより自信をもって行動に移すことができず、思うような結果は得られないように思います。

とらわれないということは、「柳に風」、つまりどんな暴風にさらされてもしなやかに受け流す柳のように、柔軟で強い心を育むことにつながっているのではないでしょうか。
 

素直な心になる

松下幸之助は、こうした何ものにもとらわれない柔軟な心を素直な心と呼びとても大切にしていました。さらに「素直な心になりましょう。素直な心はあなたを強く正しく聡明にいたします」をPHP研究所の活動のスローガンとし、またPHP活動の趣旨に賛同した全国PHP友の会の会員のモットーに定めました。つまり、松下幸之助にとって強い心とは、この素直な心を高めることから生まれてくるものというわけです。

またこの素直な心は、お互い人間が豊かに仲良く幸せに暮らすために高めていかねばならない心がけでもあります。松下自身常日頃から研鑽を積むだけでなく、広く人々に訴え続けてもいました。

それでは、素直な心とはいったいなんでしょうか。

松下は、素直な心とは単に人にさからわず、従順ということではなく、もっと力強く、積極的な内容をもつものだと言います。

次のように松下は説明しています。

「素直な心とは、私心なくくもりのない心というか、一つのことにとらわれずに、物事をあるがままに見ようとする心といえるでしょう。そういう心からは、物事の実相をつかむ力も生まれてくるのではないかと思うのです。だから、素直な心というものは、真理をつかむ働きのある心だと思います。物事の真実を見きわめて、それに適応していく心だと思うのです。したがって、お互いが素直な心になれば、していいこと、してならないことの区別も明らかとなり、また正邪の判別もあやまることなく、何をなすべきかもおのずとわかってくるというように、あらゆる物事に関して適時適切な判断のもとに力強い歩みができるようになってくるのではないかと思います。つまりお互いが素直な心になったならば、〝強く正しく聡明になる〟と思います」(『素直な心になるために』)

松下のものの見方、考え方の鍵ともなるこの素直な心については、次のようにも述べています。

「素直な心というものは、私利私欲にとらわれることのない心、私心にとらわれることのない心である」(『同前掲書』)

私利私欲にとらわれていると適切な判断、行動をとることができません。いきおいミス、失敗を重ねやすく、他からの支援も得にくいでしょう。おのずと何となく胸を張って力強く活動することができなくなってしまいます。

「素直な心の内容の中には、万物万人いっさいを許しいれる広い寛容の心というものも含まれている」(『同前掲書』)

世の中にはいろいろな人がいます。中には馬が合わない人もいるでしょうし、社会的に問題のある人もいます。そうした人を許しいれるのは容易なことではありません。しかしそれが少しでもできるようになってこそ、お互いの心は広く強くなるのではないでしょうか。

「素直な心というものは、自由自在に見方、考え方を変え、よりよく対処していくことのできる融通無碍の働きのある心である」(『同前掲書』)

前述した「柳に風」の喩えの通り、柔軟な心のあり方を松下は融通無碍と表現しました。そうした心のあり方であれば、簡単に折れることもくじけることもないというわけです。

いかなる困難にもくじけず、勇気をもってなすべきをなし、あふれる自信とともに自分の道を歩みつづけることができるほどの強い心があれば、人生はもっと楽しく豊かになることでしょう。また、何事にも悲観的にならず、悩んだりねたんだりうらやんだりすることもなく、絶望とは無縁の大らかな生き方ができる心の強さを養えるなら、満たされた毎日を送ることができるはずです。

しかし、いつも変わらずそんな強い心であり続けることができる人は恐らくいないに違いありません。おびえることなく強い心で勇敢に事に当たることができた次の瞬間、ほんの小さな問題に思い悩み、苦しむというのが私たちの一面の姿です。大切なのはくじけそうなときにどうするか、しり込みしそうなときにどうするか、ひがんだりねたんだりするときにどうするかにあります。

無理をせず、あれこれもするというのではなく、できることからで十分です。例えば、苦しさに心がくじけそうになったなら、一旦休んでみるのも一つの方法です。そして力が少しでも湧いてきたなら再び立ち上がり、ものの見方、考え方をちょっと変えて少しでも前に進んでみる。こうした繰り返しができたとき、心はほんとうに強くなるのではないでしょうか。
 

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