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「東大卒の名医」ならば“がん”は治せるのか? 判断を誤らせる“権威主義”

大場大(東京オンコロジーセンター代表)

2019年04月13日 公開 2019年04月15日 更新

 

「かつての名医」がもはや通じない時代に

年功序列(縦)社会の弊害もあるでしょう。ひと昔前までならば、医学の進歩のスピードは緩やかで、先輩は何でもできて何でも知っている存在として、長い期間にわたり上位に君臨することができました。

しかし、現代のがん医療の進歩のスピードは考えられないほど速くなっています。先輩といえども知らないことがたくさんありすぎて、先輩だから偉いとされていた時代とは明らかに異なる変化がみられるようになっています。

いつまでも、お山の大将として、ローカル・ルールを変えないことで自身の不勉強を正当化し続けるわけにはいかなくなりました。

昔は名医であったと評価されていた外科医でも、視力も手先の感覚も衰え、体力、集中力のみならず勉強量もはるかに低下しているにもかかわらず、今でも無理をして名医を演じ続けている高齢医師に、大切な命を預けたいとは私は思いません。

 

医師にも「賞味期限」がある

最高のパフォーマンスを継続できる「旬」の期間は、医師であっても人である以上、ある程度はプロスポーツ選手と同じように、賞味期限のようなものがあると考えます。

進歩する医学を高いレベルで享受し、なおかつ安全に実践をすることができなくなっているにもかかわらず、利己的な動機から患者さんを不遜に扱うことは、決してあってはなりません。

もちろん、今でも教育者として尊敬に値する立派な先輩医師は、実際に数多くいらっしゃいます。

しかし一方では、権威服従の心理をうまくついた「○○大学元教授」や「○○病院名誉院長」のような肩書を駆使して、一般向けに「名医」アピールをして安心感を与え、顧客を募るようなビジネス戦略のようなものも見受けられます。

しかし、宗教にも似たよほどの信仰心でなければ、もはや新しい医学についていくことも難しくなってきている高齢医師に最善の医療レベルを期待するのは酷というものです。

いつまでも過去の輝きが忘れられないドラマチック効果で、現在は無知であることを知ろうとしない「老害」というものには気をつけたほうがよいでしょう。

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