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荒川と隅田川の「水害の歴史」が証明した“浅草の安全性”

2019年10月17日 公開

竹村公太郎(元国土交通省河川局長)

 

全国の大名が総出で建設した「日本堤」

治水の原始的かつ最も基本的な手法は「ある場所で水を溢れさせる」ことである。ある場所で洪水が溢れれば、それ以外の場所は助かる。ある特定の場所で洪水を溢れさせる手法は、時空を超えた治水の第一原則である。

治水は必ずその第一の原則から始まる。江戸の治水も溢れさせるという原則から始まった。

江戸を襲う隅田川は北西から流れてくる。河口は江戸湾の入江が深く入り込んでいて、その入江の奥に中洲の小丘があった。その小丘の上に江戸の最古の寺が建っていた。それが浅草寺であった。

徳川幕府はこの浅草寺に注目した。浅草寺が1000年の歴史を持っていることは、この一帯で最も安全な場所という証拠なのだ。その浅草寺を治水の拠点とする。

つまり、浅草寺の小丘から堤防を北西に延ばし、その堤防を今の三ノ輪から日暮里の高台にぶつける。この堤防で洪水を東へ誘導して隅田川の左岸で溢れさせ、隅田川の西の右岸に展開する江戸市街を守る。

1620年、徳川幕府はこの堤の建設を全国の諸藩に命じた。浅草から三ノ輪の高台まで高さ3m、堤の道幅は8mという大きな堤が、80余州の大名たちによって60日余りで完成したのだ。

日本中の大名たちがこの堤の建設に参加したので、この堤は「日本堤」と呼ばれるようになった。

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