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「世界で最も稼いだ漫画家」が、たった一人で50年間も描き続けた謎

2019年12月11日 公開

デイヴィッド・マイケリス(著)/古屋美登里(訳)

スヌーピーの父、チャールズ・シュルツ

スヌーピー、チャーリー・ブラウン、ルーシー。世界中で愛される漫画『Peanuts(ピーナッツ)』を終生描き続けた天才漫画家のチャールズ・シュルツ。

世界で誰もが知るその作品で桁違いの成功を収める一方で、常に劣等感に苛まれていたという。その生涯を、手紙やメモなどを含む秘蔵資料と親族・関係者への取材により描き出した書『スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝』より、チャールズ・シュルツの人となりを伝える一節ここで紹介する。

※本稿はデイヴィッド・マイケリス(著)・古屋美登里(訳)『スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝』(亜紀書房刊)より一部抜粋・編集したものです。

 

スヌーピーの父、チャールズ・シュルツは「近寄りがたく理解しがたい人物」

この世を去ったとき、チャールズ・シュルツは、50年にわたる漫画家としての人生を読み解く手がかりを、自身の漫画のなかに埋め込む形で残していた。

控え目だと思われていた人物にしては驚くほど多くのインタビューに答えていて、些細なことにまで話を進めたり、思いがけないほど虚心坦懐に語ったりすることもあった。

ひとりの大人として、出会った人には誰にでも的を射るような、それもかなり私的な質問をするのを常とし、またどこへ行っても人生の不可解さを追求しようとした。

ところが、自身のことや作品の意図を理解しようとする試みにはいささかの関心も示さなかった。コマ割り漫画が自分の代わりに己(おのれ)を語ると言い続けた。

多くの芸術家と同じようにシュルツも、作品を介してのみ自己を語ることができるという姿勢を貫いた。北カリフォルニアのサンタ・ローザにある静かなアトリエで、自分しか知らない記憶を探り、変わった癖を探し、それを毎日注意深く巧みに描く4コマ(後に3コマ)漫画へ符号化していった。

1940年代に彼は通信教育から、「漫画とは、本当は、ひとつの考えを別の姿に変えて表現する絵である」ということを学んだ。彼は機会あるごとに、読者に手がかりを与えてきた。

「私の漫画を毎日読んでいる人なら、私のことがわかるはずです。私がどういう人間か正確に知っていますよ」

本当にシュルツを知っていた人たちには、彼が「近寄りがたく、理解しにくい」人物であることがわかっていたし、少なくともある友人は、「彼は誰に対しても馴れ馴れしい態度をとろうとしませんでした」と述べている。

また、彼の事情をよく知る別の友人はこう述べている。「自分のことを単純な男だと思いたいようでしたが、単純どころではありませんでしたね。複雑で得体のしれないところがありました」。

シュルツには謎めいたところが、他者をよせつけないところがあった。彼を語るときによく使われる言葉は、「引っ込み思案」「偉ぶらない」、そして「複雑」だった。

 

誰の手も借りずにひとりで描き続けた

彼が謎めいているのは、誰の手も借りずにすべて自分ひとりで漫画を描いてきたせいでもある。

50年近く、彼は「たったひとりで案を練り、鉛筆で下書きし、インクで描き、文字を書いて『ピーナッツ』の漫画を仕上げた」と言われている。つまりアシスタントを使わず、1万7897点の漫画すべてをひとりで描いてきたのである。

さらに重要なのは、一度もよそからアイデアを採ったことがないことだった。つまり『ピーナッツ』のどの漫画もひとりで描いていたからこそ、彼はこの世界を明るく照らしながらも、自分の周りに壁を作って世界を遮ることができた。

いやそれどころか、その権利を与えられていたのである。漫画を描くためにはひとりになり、派手ではないが完璧な宇宙の責任をひとりで背負わなければならなかった。人づきあいが好きで心の安定した人間であったら、長く苦しみながらも沈み込まないチャーリー・ブラウンを創り出すことはできなかっただろう。

ひねくれ者で悪意に満ちたルーシーを、哲学的なライナスを、おてんば娘のペパーミント パティを、ひたむきなシュローダーを、自分に熱中する気取ったスヌーピーを創造することはできなかっただろう。「普通の人にはできなかったでしょうね」とシュルツ自身も述べている。

しかし、それでも彼は繰り返し友人知人に向かって、自分は「ただの平凡な男」、「中西部出身のただの普通の男」であり、いまも街角の理髪師の父親と優しく愛情深い母親のひとり息子としてセントポールで育った「取り柄のない若造」のままである、と言ってきた。

将来の夢は「父親のようにみんなに好かれる人になる」ことだと、ことあるごとに口にしていた。

世界でいちばん高い報酬を手にした漫画家になっても、漫画界のほかのどの基準に照らしても大成功を収めたとしか言えないのに―彼が登場する前には漫画で身を立てようなどと考える者はいなかった―いつもこう言った。

「私がとてつもない成功を収めたって? 本当にそう思ってます?」

彼はいつでも理髪師の息子、セルビー通りとスネリング通りの角の少年に戻った。彼の大勢のファンには、『ピーナッツ』の生みの親は気のおけない近所のおじさんのように見えた。「私は薬剤師にそっくりなんです」と冗談を言った。

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