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生き方

「世界で最も稼いだ漫画家」が、たった一人で50年間も描き続けた謎

デイヴィッド・マイケリス(著)/古屋美登里(訳)

2019年12月11日 公開 2022年07月08日 更新

 

「チャーリー・ブラウンはあなたの分身?」と週に10回は聞かれたが

「シュルツ」は、ドイツ語で「村長」という意味を表す言葉が起源で、彼はその意味のとおり、ウォルター・クロンカイト[アメリカでもっとも信頼できる人物とされ、「アメリカの良識」を代表するジャーナリストと呼ばれた]が「漫画村」とみごとに表現した世界規模の村の長(おさ)になった。

その村人たちにとってシュルツは、「思いやりがあり、気さくで、親しみを感じる、すぐに好きになれる友人」だった。さまざまな国の人々がシュルツと共に成長してきたと思っていた。

子供の頃には心を癒やされ、思春期には慰められ、大人になってからは心和まされたと感じていた。

見も知らぬ人々が、彼を家族だと思っていた。しかし、その名声の絶頂にあっても、「世界中の人に会っているように思いますか」と訊かれて、彼は「はい。でも私を人に会わせたくはありませんね」と矛盾するような答え方をした。

「チャールズ・シュルツは秘密を決して漏らさないまま死んだようなものだ」と、ある新聞のコラムニストは述べている。

シュルツが自分の村の住人に教えたことはきわめて少ない。『ピーナッツ』についてもそうだ。

スヌーピーが、シュルツの子供時代に飼っていた独立心旺盛な犬のスパイクをモデルにしたということを除けば、心配性のチャーリー・ブラウンと意地悪なルーシーにモデルがいたのかどうかといった質問にも一切答えなかった。

漫画の登場人物同士の結びつきと彼自身の現在の人間関係に一致するところはないと言いながらも、かつて自分が体験した絶望や困惑を基にして描いていると言ってみたり、類推的な質問に対してはすべて自分のことだと言って裏をかいてみせたりした。

「これは私の人生のすべてですよ」と。

「漫画の人物を作るつもりなら、自分の中からしか作れないものです。他人を観察してもたくさんは作れません。たいして観察することなどありませんしね」―これがひっきりなしに観察している人物、鋭い観察眼を持った人物から発せられた驚くべき発言である。

漫画を描くことはきわめて個人的かつ表現的な行為である。シュルツは自分の声が読者に届いているということを―自分の表現媒体がラジオであるかのように―知らなければならなかった。

というのも、読者に自分と同じ気分になってほしかったからである。流行に敏感な大学生のサークル内でもてはやされていた『ピーナッツ』が、やがてあらゆる人々に受け入れられるようになると、シュルツは読者をますます信頼できなくなり、コマ割り漫画の中に彼自身の多くが間接的に表現されていることを読者は理解していない、と思うようになった。

初めの頃は、シュルツがチャーリー・ブラウンだと読者が思い込んでいるほうがいいと考えていたが、1972年頃には「チャーリー・ブラウンは本当にあなたの分身ですか」と週に10回は訊かれるようになり、「違うんですよ。そうであるなら面白いんですがね」と愉しそうにくすくす笑いながら答えるようになった。

 

シュルツか終生抱えていた「孤独感」のはじまり

その10年後に小説家ローリー・コルウィンが、「あなたの漫画を最初から読んできた人なら、あなたの伝記を本当に書けるでしょうか」と尋ねると、シュルツはとても優しい声でこう答えた。「そう思いますよ。どうやらあなたは大変に目ざとい方のようですね」

あるエッセイストはシュルツ引退のニュースを聞いて、先の質問に対して新しい答えを述べた。

「伝記を書くのに『薔薇のつぼみ』のようなアプローチ[ある言葉を手がかりにして大きな謎へ迫っていく手法]ができるアメリカ人はもうひとりもいないと思います。しかし、四コマ漫画の巨匠シュルツは、私たちのためにすでに手がかりとなるピースを組み合わせてくれています」と。

それどころか、もう完成していた。1941年にオーソン・ウェルズの『市民ケーン』がセントポールのパークシアターで公開されたとき、勘のいい少年のシュルツにはたちまちこの映画の凄さがわかった。それ以来シュルツはこの映画に魅了され続け、これがもっとも愛する映画になる。

シュルツはこの映画の話を何度も繰り返し漫画に取り入れている。40点は下らないだろう。『市民ケーン』は、権力を手にした人物の話だ。ひとりっ子のその人物は、子供時代に冷淡な両親から引き離される。

雪原にぽつんと建つ小屋での生活から引きずり出され、機関車に乗せられてアメリカン・ライフの中心に向かってひた走っていく。そこで銀行家に育てられ、完成することのない城「桃源郷【キサナドゥ】」で、王のような、しかし孤独な名士になっていく。

オーソン・ウェルズが演じた主人公、「望むものはすべて手に入れ、そしてそれを失った」新聞王チャールズ・フォスター・ケーンのように、チャールズ・モンロー・シュルツも、子供時代に抱いた大きな夢など足許にも及ばないほどの成功を収めるが、人を愛し人に愛されるためにあがくことになる。

シュルツは死ぬまでずっと自分はひとりぼっちだと感じ、大人になってから半世紀にわたって、大切にされたい、理解されたいと切望し続けた。それはなぜなのか。もし彼の母親が、彼を男の子としてうまく愛していたら、その頃から始まった痛ましいまでの渇望感を、彼は知らずにいたのだろうか。

シュルツが自分の人生を語るとき、最初から始めることはなかった。1922年11月26日の誕生から、あるいは幼年期から始めることはなかった。

必ず母がこの世を去った1943年3月1日から、戦争に行くために汽車で出発したところから、すべてが無慈悲に過ぎていったところから始めた。その週の月曜日にディナ・ハルヴァーソン・シュルツは他界し、金曜日に埋葬され、土曜日に彼は徴兵されていった。

彼の人生はいつも、もう少年ではない孤独な若者が雪のなかを汽車で運ばれていくところから始まった。

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