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弁護士仕分け人が語る「事業仕分けこぼれ話」 ~その1「事業仕分け廃止論にこたえる」(2)

水上貴央(弁護士)

2011年01月05日 公開 2022年12月21日 更新

水上貴央

事業仕分けを議会に吸収させれば実効力が増す?

 (2)の仕分けの実施適格に対する批判は、仕分けの効果が不十分であるという問題意識からなされる例が多いようです。「現状では、せっかく事業仕分けで厳しい議論をしても、その結果は十分反映されない。それであればいっそ、事業仕分けの結論に従わなければならない拘束力をもたせたほうがよく、拘束力をもたせるのであれば、民間仕分け人が多数を占めるいまのワーキンググループでは問題がある。むしろ、決算委員会などで、民主的基盤を有する議員が責任を持って仕分けを行なえば、事業仕分けの実効性が向上する」という主張はたしかに一つの考え方です。

 しかしながら、仕分け人の実感からすれば、現時点で事業仕分けを議会に吸収させることには否定的な見解をもたざるを得ません。むしろ、これにより事業仕分けが骨抜きにされることを心配しています。

 現在の行政事業が、利権受益者や族議員などのさまざまなプレーヤーを巻き込んで、容易に改革できない構造を組み込んで継続されていることは上述した通りですが、まさに、この利権構造は、過去の民主的プロセスによってつくられてきたものです。

 そして、「(1)行政が裁量的な(≒恣意的な)分配が可能な事業を実施する⇒(2)分配を取り仕切る族議員と、その族議員の票田となる利権受益者が生まれる⇒(3)利権受益者は人数的にも財政的にも拡大しさらに強力な票田となる⇒(4)強化された票田にさらに多くの族議員が群がる⇒(5)当該利権受益者により多くの利権をもたらすための利権型事業の実施圧力が強まる⇒(6)新たな利権型事業が生まれ、(1)に戻る」という利権事業強化の構造(私はこれを“民主主義の失敗”と呼んでいます)は、政権党がどの党であっても、民主主義の必然としてつねに発生しうるものです。

 こうして形成された利権構造の弊害を、論理的な費用対効果の検証によって打破しようという取り組みが事業仕分けです。事業仕分けが“民主主義の失敗”を是正・防止する仕組みである以上、民主主義とは一定の距離を置く必要があるのです。

 今回の再仕分けにおいても、議員仕分け人の皆さんのところには、支持団体を通じて、利権受益者からそうとう強力な圧力がかかったようです。今回の議員仕分け人のメンバーの方は非常に高い使命感をお持ちでしたから、このような圧力に屈することはなかったと信じています(一部、もしや……という事業もありましたが)。しかし、民主的基盤を有する議員とは、構造的に、支持団体による利権圧力につねに晒されていることは、十分に認識しておかなければなりません。私が利権団体の人間だとしたら、事業仕分けは絶対に議会の機能であるべきだと主張するはずです。

 事業仕分けというのは、あくまで論理的に、その事業の費用対効果を検証していくプロセスですから、民主的基盤の裏返しとしての“しがらみ”から自由な、民間仕分け人を中心に進めるほうが、むしろ自由で厳しい議論が可能です。

 その場合には、ワーキンググループに民主的基盤がない以上、その結論自体に直接的な拘束力をもたせることはできません。しかし、ワーキンググループの親会である行政刷新会議は、総理大臣を議長とする機関ですから、行政の長たる総理大臣のリーダーシップのもとに、仕分けの結論を遵守するように求めることは、“制度的には”十分に可能です。

 一方、万一事業仕分けの結論が、論理的には一定の合理性があっても、政治的判断として取りえないという場合には、十分な説明責任を果たしたうえで、政治判断として仕分けの結論を覆すということはあってよいのです。重要なことは、事業仕分けの論理的な議論が完全公開の下で為されている以上、それを覆す政治判断についても、仕分けの議論と同レベルの説明責任が果たされる必要があるということです。

 論理的議論と政治的調整を分離するという現在の制度設計は、ともすれば政局に巻き込まれ、理論的な議論がなおざりにされがちな行政事業の検証作業を、国民から見て判り易く進めていくために、合理性を持った仕組みです。

 なにより、政務三役等の政権内部者からも強力な反発があるということ自体が、事業仕分けが一定の実効性を持っていることの証左だと考えます。

事業仕分けは“民主主義の失敗”是正・防止のための外部監査

 (3)の「民主党政権で策定された予算を仕分けるのはおかしい」という批判は、もう一つ理解に苦しみますが、事業仕分けを政治ショーと捉える理解からくるものかもしれません。どの党がつくった予算であっても、費用対効果の検証が為されていない事業は問題であって、事業の無駄があれば是正しなければならないのは当然です。

 事業仕分けは、前政権の作った予算を糾弾する政治ショーではなく、その本質的機能は、“民主主義の失敗”是正・防止のための一種の外部監査ですから、政権与党がつくった予算こそ、その対象としなければなりません。

 そして、事業仕分けの議論の対象は政策論ではなく、各事業の検証である以上、別に同じ政党の議員同士で議論を戦わせても何も問題ないのです。

 閣議決定済みの予算を後から仕分けるのは問題だという批判も一部ありますが、この点は、事業仕分けを実施するタイミングについてさらに検討する余地はあるかもしれません。ただし、閣議決定で個別事業の実施適否まで議論されている訳ではないですし、現実に事業内容に問題があるのであれば是正を迫ることに躊躇するべきではないでしょう。

「事業仕分けの本質的な意義は何か」という点についての共通理解が形成されていない状況で、「政治ショーとしての事業仕分け」に、上述の様な多くの批判が集まっていることは、ある意味当然かもしれません。

 私自身は、実際に事業仕分けの議論に参加し、また事前ヒアリングなどを通じて仕分け後の改善内容についても報告を受けるなかで、事業仕分けの本質的意義について肯定的に考えていますが、残念ながら、事業仕分けの本質や議論の実態について丁寧に論じられる機会はあまりありません。

 そこで、次回からは、具体的な事業をとりあげながら、実際の事業仕分けの議論がどのように進んだか、当該事業の構造的問題は何かを掘り下げて論じ、事業仕分けの実態についてもう少し丁寧に論考を進めたいとおもいます。

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