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松永久秀が割った壺に仕込まれた「秘密」…前田慶次が気づいた『麒麟がくる』の憎い演出

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

2020年09月19日 公開 2022年06月30日 更新

 

秀吉の後の出世を暗示する「歌」

今回の「歴史的神場面」と言える、この場面。久々の登場、秀吉は直垂(ひたたれ=装束)姿で百人組の頭となっておった。百人組は鉄砲隊の頭で、現世の会社で申せば係長あたりの立場である。

今回、秀吉は光秀の饗応役、つまり接待役を命じられて膳を用意した。

この先、光秀も信長に命じられて饗応役を担うのじゃが、その相手が戦国界ビッグ3の1人である徳川家康。信長の同盟相手という事で大物を接待するが、供した料理の品々等の問題で、光秀は失敗する。

ドラマでは秀吉が念入りに料理の確認を致した。これに光秀は「そこまでしなくても」と気遣う。正に後の伏線が敷かれた。信長に叱られる時に、この場面がよぎるやもな。

また秀吉は接待に抜かりなく、人との輪を繋ぐのが天才。世で人たらしと言われる所以。

秀吉が一句、歌を読み上げる場面では「武家としてやっていくのであれば万葉集雑歌を覚えよ」と帰蝶から助言があった。接待も多い武家は公家、朝廷ともやりとりをする。その上で歌は大事である。

戦国の世では、歌はコミュニケーションの一つ、万葉集は天皇から庶民の歌まで集めたベストアルバム。現世で言えば、国歌からインディーズバンド、地下アイドルの歌まで入っておる天下無敵のアルバムなんじゃ。

その中でも雑歌とは庶民の歌。つまり名もなき民達が感じた歌を知ることは、世の声を聞くとことである。世の大半は庶民。平和な世を作る為には「その者達の気持ちを知れ」という帰蝶の願いが表れている。

教養人でもある光秀と、庶民・秀吉が歌で語らう一場面は、戦国の様相の変化を告げる演出とも見える。庶民が上流階級(武家)の遊びに介入して、それについて語らう。一つの時代の終わり告げておるじゃ。

もう1つ、秀吉が読んだ歌に秘密が!

「我がやどの 花橘は散りにけり 悔しき時に 逢へる君かも」

ずっと待っていたのに、こんな時にお会いするなんて無念という歌。これは、ドラマを見ておる者は分かると思うが、義輝の事を歌っておる。台詞と全く同じ意味合い、この伏線と回収は痺れたのう。

また、「松永久秀が暗殺を企てた」という後年でも推測の域を出ない噂があることを、情報通の秀吉という間接的な存在を通してドラマで演出。さすれば、歴史通の者達も納得させる流れには感服した。

控えめな演出ながら玄人から素人まで楽しめるように表現するとは。誠に素晴らしいものじゃ!

 

松永久秀の3つの壺の意味するものとは?

「物の値打ちの話をしておる。物の値打ちは人が作るものじゃ」

最もゾっとしたのは、松永がこの台詞を発した場面であろう。先に申すが、この台詞の「物」は「者」とも捉えることができる。文化人・松永らしい表現である。

渡来物の壺、3つの内1つを残し2つを割った。これは将軍3人を示した、と儂は心得る。現将軍の義輝、残るは次代の候補である義栄、義昭と見受けた。割られたのは義輝と義栄で残ったのが義昭。そう見て取れた。

あの壺にも秘密がある。ドラマで使用された高貴な壺は「唐物茶壺 松花」にそっくりな作りだったのだ。これは驚いた。

この壺は「天下の名器」と呼ばれるもので安土城完成の折に信長の下へ登場し、その後は豊臣家、徳川家に渡った。天下人が受け継いだ名器がちゃっかりドラマに登場! これ驚く他なかろう。

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