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松永久秀が割った壺に仕込まれた「秘密」…前田慶次が気づいた『麒麟がくる』の憎い演出

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

2020年09月19日 公開 2024年12月16日 更新

松永久秀が割った壺に仕込まれた「秘密」…前田慶次が気づいた『麒麟がくる』の憎い演出

《全国にその名を轟かせる「名古屋おもてなし武将隊」。名古屋城に詰め、観光客をもてなす武将と足軽の人10組。2009年11月、名古屋開府400年のPR大使として名古屋にゆかりの6人の武将と4人の足軽で名古屋おもてなし武将隊が結成、すでに10年以上にわたり活躍を続けている。

そのうちの一人、前田慶次氏は名古屋城検定に検定過去最高点で合格し同検定の名誉顧問を務め、日本城郭検定にも合格するなど歴史への造詣も深い。

前田慶次氏が自身のYouTubeチャンネル「前田慶次5分で戦国時代チャンネル」にてNHK大河ドラマ『麒麟がくる』を徹底解説している。本稿ではその一部を紹介する》

※本稿はYouTubeチャンネル「前田慶次5分で戦国時代チャンネル」にて配信された内容を再構成したものです

 

演出に散りばめられた「1565年に起こった出来事」

『麒麟がくる』第23回「義輝、夏の終わりに」は伏線が多く、45分間にわたり常に「これは? これは? あれか!」と心躍り見応えがござった。

秀吉と光秀、世を統べる将軍・足利義輝との対比が誠に面白かった。松永久秀も世を動かす力を持ち始め、戦国大名としての貫禄も備わりこれまでにない恐ろしさを出し始めた。

此度(こたび)の回は1565年の春から夏にかけての話と見えた。

この1565年には、ドラマに何気なく登場しておった、「渡来物」という言葉に関わる出来事が起きておる。

1月、宣教師ルイス・フロイスが義輝に謁見(えっけん)。「日本史」を記したことでも有名なフロイスが登場。

宣教師が日本の中心である京に入り、将軍に謁見が叶ったということは、異国の品々も多く輸入されるということ。ドラマでは松永久秀が、渡来物の壺を品定めする場面があった。時代背景がドラマの大事な演出場面に使われておったぞ!

3月、徳川家康が満を持して三河国を統一。現在、ドラマでは登場しておらぬが、一向一揆と今川との対決を経て翌年「徳川」に改姓した。

6月、永禄の変が起こる。将軍、義輝の最期である。

7月、将軍義輝の後継として候補であった義昭が三好家から逃れるために大和国の寺から脱出。ドラマではそれを匂わせる場面が描かれた。何故か駒と逃げたがな。

9月には信長の娘と、武田信玄の子・勝頼が結婚! 現在、武田家は名前しか登場しておらん。この先、将軍家と織田家の対立の中で肝になるのが武田家である。武田家の登場も期待できるやも?

異国や将軍・義昭の描き方など、歴史を伝えつつの演出はやはり見事じゃ。

 

なぜ信長が下座で、光秀が上座なのか?

光秀が「義輝の書状である」と「御内書(ごないしょ)」を信長に届けるところからドラマは始まった。その内容は上洛の通達であった。

「御内書」は将軍が発行する文書、つまり政(まつりごと)の大事な書状である。現世で申せば「辞令」に近しい。幕府という会社上層部からの通達じゃな。

この書状には縛り付ける効力はなく、無視する者もおったとか。信長の態度が正にそれにやもしれん。内容は聞いておるが、それに応えるかは考える、人事異動であったり役職への叙任に関して「一度考えたい。」と返答したようなもの。

ドラマでは、この時に粋な演出があった。

御内書持ってきた光秀を上座に、信長自ら下座へいく。二人の立場だけであれば本来は信長が上座であるが、将軍様の書ということで光秀が代わって上座に入った。

儂ら武士は様式を大事にする生き物。まさに伝統を重んじる武士の精神が台詞がなくとも描かれており、見応えが御座った。天晴!

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秀吉の後の出世を暗示する「歌」

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