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そもそも「緊急事態宣言」は必要だったのか? データから見えてきた“真の評価”

栗田順子(常磐大学看護学部講師)

2020年12月16日 公開 2020年12月16日 更新

そもそも「緊急事態宣言」は必要だったのか? データから見えてきた“真の評価”


緊急事態宣言下の東京の新宿駅付近

新型コロナの再流行が加速する中、緊急事態宣言の再発令を求める声も浮上してきている。いまあらためて、過去のコロナ対応から学べることは何なのか。

本稿では、『新型コロナウイルス感染症第一波のパンデミック・シミュレーション~数理モデルからの振り返り』より、今春の緊急事態宣言の効果をデータから振り返った一節を紹介する。(協力:大日康史,菅原民枝[国立感染症研究所感染症疫学センター主任研究官])

※本稿は、栗田 順子(著),大日 康史(協力),菅原民枝(協力)『新型コロナウイルス感染症第一波のパンデミック・シミュレーション~数理モデルからの振り返り』(技術評論社 刊)より一部抜粋・編集したものです。

※同書は作成時点(2020年7月)の見通しについてまとめたもので、その後の知見の蓄積、状況の変化、政策や見解の改訂は反映されていません。同書の内容はあくまでも筆者らの個人的見解であり、所属する組織の公式見解ではありません。

 

8割の接触削減

今回のCOVID-19 の流行が本格化していた4月7日、「7割ではだめなのです。8割の接触削減です。」という言葉が発せられ、その言葉は世論だけでなく一国の首相をも動かしました。

では、7割ではなく8割の削減目標は正しかったのでしょうか。答え合わせに入る前に、まずは「再生産数」という言葉についておさらいしておきましょう。

再生産数は感染性の強弱を表す指標で、感染力そのものではありません。基本的には再生産数は、1人の感染者から感染力を有する期間全体で平均何人に感染させるか、と定義されます。

再生産数が高いと、ほかの条件が同じであれば感染性は高いと言えます。しかしながら、たとえばHIV/AIDSのように「感染力を有する期間」が非常に長期であれば、再生産数が高くても期間当たりの感染力は高くない場合もあり得ます。ですので、感染力は、再生産数と感染力を有する期間、によって決まるわけです。

再生産数でとくに注目されているのが基本再生産数(R₀)と実効再生産数(R(t))です。R₀は、周囲が感受性者のみであった場合に、とくに対策が講じられなかった状況での再生産数です。つまり、流行初期のウイルスの性状に近い概念です。

ただし、策が講じられなかった状況とはいえ、その社会の習慣(たとえば日常的に握手をするとかマスクをするとか)にも依存するため、純粋にウイルスの性状だけで決まるわけでもありません。

他方でR(t)は、ある時点tにおける再生産数です。当然ながら、流行中期以降では回復者も増えてきます。また、対策も講じられるでしょう。したがってR₀ほどの感染力はないこともあります。いわばその時点での実態としての再生産数です。

流行が進み回復者が多くなってきて、あるいは対策が徹底されて、R(t)が1を下回ると(つまり、1人の感染者から平均して1人未満にしか感染させられなくなると)、流行拡大は止まり、流行は終息に向かいます。

 

「8割」の目標設定は高すぎた?

そもそも必要だったのか? データから見えてきた「緊急事態宣言」の本当の評価

それでは、いよいよ答え合わせに入りましょう。この図はドコモとアップルが提供している、東京都における外出の割合です。ドコモは500mメッシュの基地局からの移動、アップルはルート検索を測っています。

ルート検索の場合、職場や学校といった馴染みの場所への外出はルート検索を伴わないこと、また実際には自宅でのルート検索もあり得ることから、定義としてはドコモのほうがより望ましいかもしれません。

また、ドコモでは夜間人口を100とし、アップルでは1月13日の件数を100としています。

さてこの図から、アップルとドコモでは水準の差はあるもののほぼ並行した動きで、4月8日以降はドコモでは40、アップルでは60付近を変動しています。つまり、ドコモでは6割外出自粛が実現していました。また、少なくとも東京都における医療崩壊はなかったとすると、先の論文はおおむね正しかったと言えるでしょう。

注目すべきは、ドコモもアップルも一度も20には達していません。つまり8割外出自粛は一度も達成されていません。しかし、流行は収まりました。つまり、「7割ではなく8割の削減目標」は必要なかったわけです。

結果論で責めるべきではないでしょう。むしろ責められるべきは、8割外出自粛の達成には経済の破たんというコストがかかっていることを斟酌して目標設定したのか、という点でしょう。

求められたのは、高い自粛率の目標設定ではなく、R(t)<1 が実現するぎりぎり低い自粛率の目標設定だったのでしょう。それが実現できていれば、R(t)<1 なので少し時間がかかっても、流行を抑制しながら経済へのダメージを最小化することができたでしょう。

目標は3割の接触削減でよかったのかもしれません。そして、実際に国民は4割から6割の自粛にとどめ、流行をコントロールしたわけです。

流行をコントロールしたのは「専門家」ではなく、国民一人一人の判断だったということでしょう。8割という目標設定で初めて6割を実現するのが日本人の国民性であり、それを見据えての発言であったとすれば、これぞ「専門家」ですが。

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