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生き方

公園が楽しくなかった「目の見えない息子」と「運動が苦手な父親」のその後

澤田智洋(コピーライター・世界ゆるスポーツ協会代表理事)

2021年03月08日 公開 2023年01月06日 更新

 

資本主義に“才能”を食い尽くされていやしないだろうか??

世の中、とかく強くなるための理論が猛威をふるっています。「でかい」とか「速い」とか「多い」とか。20代の僕が広告をつくることに疲れてしまっていたのも、すべてはこの「強さ」だけに伴走することへの違和感からだったんです。

子どもの頃から、僕は数多くのクリエイターたちに救われてきました。でも、いざ社会に飛び込んでみると、あらゆる業界の「クリエイター」と呼ばれる職種の人たちが疲れていることに気づきました。その原因は、持てる才能を経済が食い尽くそうとしているからです。

結局のところ僕らは、資本主義(=強者)の伴走者として、その歯車となって動いています。強者の売上をさらに増やすために。けれども一方で、みんな気づきはじめていると思うんです。前年比”101”%の売上、「四」半期目標達成といった数字をクリアするのが、すべてではないことに。

なのに僕らは単一的な生産性や業績に、向き合いすぎていたんじゃないかと思うんです。

単一の反対は、多様です。今、僕が進めている仕事は、ゆるスポーツも含めてどれも、息子や障害のある友人たちや自分自身の「できないこと」や「悩み」から生まれたもの。

「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」。トルストイの言葉です。

つまり、「弱さ」の中にこそ多様性がある。だからこそ、強さだけではなく、その人らしい「弱さ」を交換し合ったり、磨き合ったり、補完し合ったりできたら、社会はより豊かになっていくと思うんです。

弱さを受け入れ、社会に投じ、だれかの強さと組み合わせる──。これがマイノリティデザインの考え方です。そして、ここからしか生まれない未来があります。

広告会社では、「強いものをより強くする」仕事が多い。だけど、もし「弱さ」にもっと着目したら。「弱さを強さに変える」仕事ができたなら。そしていつか、「弱さを生かせる社会」を息子に残したい──。

 

弱さとは、周りにいる人の強さを引き出す、大切なもの

昭和のプロボクサーでありコメディアンのたこ八郎さんが、こんな言葉を残しています。

「迷惑かけてありがとう」

不思議な言葉だな、とずっと思っていたんですが、息子が生まれ、障害のある友人たちと時間を過ごす中で、この言葉がスッと心に響いてきました。

障害があると、大変なことがいろいろあります。見方によっては、親である僕も迷惑をかけられているのかもしれない。障害のある友人から悩みを打ち明けられたり、「助けてほしい」と言われることも、もしかしたら迷惑をかけられているのかもしれない。

けれども、そのおかげで僕は本気になれて、働くことに夢中になれた。僕にとっては、宝物のような迷惑をかけられたんです。

迷惑とは、あるいは弱さとは、周りにいる人の本気や強さを引き出す、大切なもの。だからこそ、お互い迷惑をかけあって、それでも「ありがとう」と言い合える関係をつくれたなら、これ以上の幸せはありません。

すべての弱さは、社会の伸びしろ。

僕は、これからも大切な人から迷惑をかけられたい。代わりに僕も、「息子が暮らしやすい社会を、一緒につくってくれない?」とだれかに迷惑をかけるかもしれない。持ちつ持たれつ、お互いさまで、それぞれが培ってきた力を交換する。

それが、「働く」ってことなのかな、と僕は今思っています。

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