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生き方

最愛の人に「死にたい」と言われたら? 絶望を経験した親子の“奇跡”

岸田奈美(作家)

2021年01月19日 公開 2022年12月21日 更新

 

でまかせが“ドリームジャンボ級”の奇跡に

でまかせは少しずつ、本当に少しずつ、現実になっていった。わたしは母が生きていてよかったと思える社会をつくるため、福祉と経営を一緒に学べる日本にひとつしかない大学へ進学した。そこで、ふたりの学生と出会い、株式会社ミライロの創業メンバーになった。3年後、母を雇用した。

母は見違えるほど、明るくなった。「歩けないなら死んだ方がマシ」ではなく「歩けなくてもできることはなんだろう」と、わたしと母は考えるようになった。

絶世の聞き上手だった母は、入院していたとき、病室に見舞客がたえなかった。最初は友人や親戚ばかりだったのだが、いつの間にか、看護師や理学療法士なども集まってくるようになった。

みんな母に話を聞いてもらいたいのだ。予約表なるものがベッドサイドに登場したとき、わたしは度肝を抜かれた。それは絶対に仕事にした方がいい、というわたしの説得により、母は猛勉強の末、心理セラピストになった。

いまでは聞き上手どころか話上手にすらなってしまい、年間180回以上の講演をしている。さらに手動装置を使い、手だけで車を運転する免許まで手に入れ、車をひとりでブイブイ運転するようになった。

「死んでもいいよっていわれたら、生きたくなった」母は笑う。

この一連の話が、ネットニュースでとり上げられたというわけだ。

「2億パーセント大丈夫。死にたい母に娘が放った言葉とは」

こんなタイトルだったと記憶している。よく聞かれるのは、2億パーセントという数字がどこからやってきたのか、だ。母に本音を打ち明けられた、あの日。わたしは母の肩越しに、壁にはられたポスターを見ていた。

宝くじ ドリームジャンボ2億円。

人はパニックになったとき、視界に入った一番大きな数字にすがりつくのかもしれない。最大限の大丈夫を伝えたかったわたしが選んだ数字が、2億だった。ただそれだけ。ドリームジャンボ級の奇跡が、ここで起こったというわけなのだ。

 

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