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松永久秀の最期の言葉「南無三宝」の深い意味…『麒麟がくる』が描ききった“梟雄の結末”

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

2021年01月16日 公開 2022年08月08日 更新

 

松永久秀の「南無三宝」が伝える真実

松永久秀の最後の台詞、「南無三宝」は仏に救いを求める言葉である。人は死する時に神仏に頼ることは、よくある話であるが、久秀が此の台詞を吐くことには意味がある。

「南無三宝」、この一言で松永久秀好きの歴史ファン達を納得させてしまう神演出であった。久秀は、その生涯から「戦国界の梟雄」「悪人」「下剋上」といった戦国界のヒール役として人気者である。

しかしながら、「麒麟がくる」では、光秀の恩人として描かれていて、悪人の印象はあまり無いように感じていた。悪人として描きすぎると、光秀との関係値を構築が難しく、真実と演出のバランスが悩ましい点でもあったと思う。

南無三宝の発言で「東大寺大仏焼失事件」「将軍暗殺」「主家乗っ取り」といった「三悪」の印象を感じさせるものとなった。松永久秀が仏に救いを求めた!己の生涯を振り返り、地獄に落ちるような所業をしてきた事を示すものとなった。

ドラマ中に直接手を汚すような描写は無かったが、「もしかしたら、松永久秀が一枚噛んでいたのでは?」と視聴者に想像させた。美濃編の斎藤道三の最後然り、死に様で人物像の誠を映しているようで見事な演出であった。

此度の放送で、織田信長は孤立感を高めた。奥方の帰蝶が離れ、光秀とは溝を作った。その中で存在感を高める羽柴秀吉。安土城の描き方も面白いものであった。

身内や重臣と会う時に、わざわざ大広間を使ったのは演出であろう。本来はもっと狭い間で話すものである。安土城の壮大さだけでなく、天下を手中に収めつつある信長の状況を感じることができた。

信長が上段の間に戻る場面では、わざと引きの画で広さと距離を見せていた。それは信長と光秀の距離でもある。帰蝶の「登るのに疲れた」、この台詞で、今尚変わらぬ早さで登っているのは信長のみと表現した。

この先は信長の孤立が更に高まり、他の声を聞く光秀が本能寺に向かう絵面が見えてきた。次回の第41回「月にのぼる者」、皆も共に楽しんでまいろうぞ。

【参考文献】
・大河ドラマガイド 麒麟がくる完結編(NHK大河ドラマ・ガイド)
・信長公記
・「完訳フロイス日本史」(中公文庫)
・麒麟がくる ホームページ

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