ムスカのように「読めた」長文
高校3年生の秋が終わるころ。わたしは500もの英文をすべて暗記していた。
「おお、マジでやったんか。いやあ、すごいわ。できると思わんかったわ」
北のオヤジことわたしの母が焼いたスルメをかじりながら、先生は拍手した。達成感はあるものの、だからなんやねん、ともいいたくなった。もう受験まで2か月を切っているのに、わたしは一度も長文問題を解いていなかった。受験英語の肝は、長文なのだ。
「大丈夫や。ほなこの過去問の長文、読んでみ」
「読んでみっていったって……」
読めるわけないやろ、といいかけて、やめた。
「読める……読めるぞ……」唐突にわたしは、ムスカ王となった。本当に読めるのだ。わからない単語はもちろんあるが、なんとなく前後の文章のニュアンスでわかる。先生は自慢気に笑う。
「500も英文覚えとったらな、たいていの英文は同じ文法や似た熟語でできてるから、読めるねん。しんどいけど覚えてよかったやろ?」
なにをさせられているのか全くわからなかったが、いまようやくわかった。
「本当にいい人だったよ、君の義理のおじさんはね」とか「となり町のメアリーが、犬をぬすんで逃げているのを見た」とか、こんなん覚えてどないすんねんと思っていた英文ですら、意味があったのだ。
わたしの頭にある500の英文が宝塚のごとくラインダンスをおどり、わたしを祝福した。わたしはもう軽率に2匹のクマを、木につるしたりしない。クマたちでさえも、いまはラインダンスをおどっている。
ちなみに「英語以外の教科はどうしたらいいですか」と聞くと、早々に「おれはわからん」といって、盛大に匙を投げられた。
「そのかわりこれ全部読め。塾で教えてることが全部書かれてるから」
そういって、漫画『ドラゴン桜』(講談社)の全巻セットを渡された。落ちこぼれの高校生が、東京大学合格を目指す話だ。
受験勉強に漫画なんて。半信半疑どころか、一信九疑ぐらいだった。全巻読むというのはけっこう大変で、高校にもドラゴン桜をもっていき、すきあらば開いた。
クラスメイトが休み時間も一生懸命勉強している横で、わたしは黙々と漫画を読んでいるのだから、まわりからは「岸田がついにあきらめた」と散々いわれた。うるさい。あきらめてない。
ドラゴン桜は本当にすごかった。特に漫画に出てくるメモリーツリーという暗記の方法は、受験だけでなく社会人になったいまでも愛用している、かけがえのないテクニックだ。英語ほどの急成長とはいかなかったが、国語と世界史は、ギリギリの点数がとれるようになった。
受験日を目前に控えたわたしに、先生はいった。
「最後にこれ、和訳してみい」
英語で書かれたパンフレットだった。食べものやジュースが紹介されているのだが、聞いたことのないフルーツの名前や、見たことのない表現に手こずった。この和訳が一番むずしかったかもしれない。
それでもなんとか和訳して、書き写したノートを先生に渡すと、先生はうれしそうに「おれが教えることはもうない。君なら合格できる」といった。
わたしはほろり、と涙をこぼした。
知識は人に説明できるようになって、はじめて理解できたといえる
2月9日。受験の結果が発表された。
わたしはすべり止めの大学を受けておらず、一発勝負だった。この大学に行けないなら働こうと思っていた。だから、母と手に汗にぎりながら、パソコンの画面を見ていた。
結果は合格。
ワアとかヒャアとか、言葉にならない言葉を叫さけんだあと、わたしは外へと飛び出した。突き刺すような冬の寒さのなか、息を切らして走る。
整骨院に着いて、先生の顔を見るなり「合格しました」といった。もしかして泣いてくれちゃったりするだろうかと思っていたら「合格すると思っとったわ」とあっさりいわれ、拍子抜けした。
その夜は、居酒屋で北のオヤジが焼いたスルメを食べながら、お祝いしてもらった。
どこをどう思い返しても、おかしな先生だった。
勉強を教えてもらっていたとき「電気治療の機械を新しく仕入れたから試してほしい」と頼まれ、快諾した。するといきなり最大出力の電気を体に流され、腰を抜かしそうになったわたしを見て、先生はゲラゲラ笑っていた。
受験ももう間近だというのに「ほなスノボでも行こか」と、先生の急すぎる思いつきで雪山に4週間連続で連行されたこともある。受験生にすべるとか転ぶとか、絶対にタブーのはずだが、スノボが大好きな先生には関係がなかった。
雪山へ向かう車内や、山頂に向かうリフトの上で、英語の復習をさせられた。わたしはスノボなんてやったこともなかったのに、受験が終わるころには、スイスイすべれるようになっていた。
いい大人では、なかったと思う。でもわたしがこれから先、強く生きていくために、必要なことをたくさん教えてくれたのが先生だ。
知識は人に説明できるようになり、はじめて理解できたといえる。この考え方が体に染み付いているおかげで、わたしは書くということを仕事にできている。感動を覚えたことを、自分の言葉で、説明できている。
そういえば。大学生になってしばらくしてから、先生に尋たずねたことがある。
「わたしが最後に和訳したパンフレットって、なんのパンフレットだったんですか?」「あれはな、患者さんからもらった、怪しいネットワークビジネスのパンフレットやで」
北のオヤジに、この先生を焼いてくれと、頼みそうになった。