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両親の不仲、いじめ、貧困…心を閉ざした子どもに希望を与えた「受験勉強」

古宮昇(心理学博士)

2020年06月19日 公開

両親の不仲、いじめ、貧困…心を閉ざした子どもに希望を与えた「受験勉強」


※写真はイメージです

カウンセラーとして、⽇本、⽶国、ニュージーランドで25年以上にわたって、延べ6000⼈の⼼の援助をしてきた古宮昇⽒は「感謝の気持ちが強い⼈ほど、幸せで⼈⽣にも満⾜しているし、⼈間関係もいいし、体も⼼も健康だし、トラウマやいやな出来事からも早く⽴ち直れることが心理学の研究で明らかになっている」と語り、氏自身の経験からも「感謝」の⼤切さを説いている。

ところが古宮氏自身は、幼少期の辛かった記憶から感謝の思いが湧きづらかったと自著『絶対幸せになれる「感謝ノート」』にて語っている。本稿では、同書より古宮氏が自身の生い立ちに触れた一節を紹介する。

※本稿は古宮昇著『絶対幸せになれる「感謝ノート」』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです。

 

子どもの布団の下から見つかった出刃包丁

ある朝のこと。

まだ二歳にならない私と一歳にもならない妹。その二人の幼児が寝ていたせんべい布団の下に、父が出刃包丁を見つけました。父はビックリ仰天!!!

母でした、大きな包丁をそんなところに置いたのは。父は母をすぐ精神科に連れてゆきました。それからしばらくの期間、父は家で母を監視するため仕事に行けなかったそうです。

母は精神的にすごく不安定な人でした。私が大人になってから、母は
「なんで私は出刃包丁をあんなところに置いたのか、わからん」
と言っていましたが、親子心中するつもりがあったはずです。

世間は高度経済成長期でした。みんなどんどん豊かになり、浮かれていた時代。ところが私の両親は貧しく、安いアパート暮らしでした。それは父が安月給を酒や賭けごとに使ったから。

母はひもじい貧乏生活でいつも空腹。お乳の出も悪かったそうです。父は家を空けることも多く、残された母は二人の小さな子どもを抱え、不安と孤独と怒りでいっぱい。

母は、生後まだ数カ月の妹を抱き、一歳の私の手を引いて駅のホームに立って線路を見下ろし、もうろうとした意識で「このまま飛び込めばどんなに楽になるだろう……」と考えたことが何度もあったそうです。

 

両親と別れ、祖父母との暮らし

私が三歳のころ、妹と私は田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの家に預けられ、両親と離れて暮らすことになりました。母が仕事をかけもちして忙しく、妹とわたしを育てるゆとりがなかったからでした。母は昼は事務員、夜はビルの清掃の仕事に就きました。

両親は忙しい合間を縫って、たまに会いに来てくれました。でも両親の滞在は短いもの。両親が帰るとき、私は夕暮れのなか遠くに歩いてゆく両親に向かって、いつまでも手を振り続けていたことを覚えています。とても寂しかったです。

だけど、おじいちゃん、おばあちゃんと暮らした田舎の日々は楽しいものでした。おじさん、おばさんたちだって優しいし、仲良しの大きな犬もいました。

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冷たい都会の不仲な家庭生活

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