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毎日「辞めろ」と言われた...男性社会で上り詰めた“女性自衛官”の信念

竹本三保

2021年05月24日 公開 2023年09月12日 更新

 

アメリカに比べて2、30年遅れている日本

その後も宿泊はできませんでしたが、平成6(1994)年には練習艦『かしま』の就役条件審議委員の「通信」部門に自ら志願して女性自衛官として試運転の際に初めて乗り、艦内をくまなくチェックしました。

同じ年に「一度見に来て欲しい」と要請があって試験艦『あすか』にも乗り、女性乗組員の居住について有意義なディスカッションをしました。

今でこそ女性自衛官の艦艇への乗艦などは当たり前となり、平成21(2009)年には女性初の艦長(海洋観測艦『わかさ』)、平成30(2018)年には女性護衛隊司令までもが誕生しています。令和元(2019)年には女性初のイージス艦艦長が誕生しました。

防衛大学校ですら門戸を開いておらず、防衛庁(当時)の庁舎にすら女子更衣室がなく、トイレで着替えるといった時代に入隊した私にとっては、隔世の感があり、夢のようにも思えます。

ただ、米海軍においては、女性が初めて艦艇で勤務したのは昭和36(1961)年で、艦長が誕生したのが平成2(1990)年、さらにイージス艦などの戦闘艦艇に女性を登用したのは平成10(1998)年です。

この数字を見ても、アメリカに比べて日本は2、30年ほど遅れているといえるでしょう。

男と女は同じ人間ですから、基本的な権利としては同じなのですが、体の成り立ちから違いますので、何もかも全く同じ条件にはできません。

例えば陸上自衛隊の普通科の歩行訓練は男女一緒に行いますが、そもそも男と女では歩幅そのものが異なるので、物理的に無理があるのです。それを強引に同じにすることは意味がないと思います。

また、航空自衛隊では最近になって女性初の戦闘機パイロットが誕生しましたが、男性がムキムキの筋肉をつけて初めて耐えられるという、最大でおよそ9G(F1レーサーでおよそ5G)というとてつもない重力に、果たしてどの女性も耐えられるのかという疑問があります。

もちろん私自身が苦労してきましたから、自衛官の職域として広がるのはよいことですし、実際に昨今では男女同等にほぼ全部の門戸が開かれていると言ってもいいでしょう。

ですが、体力的かつ生理学的なことを無視してかえって危険にさらすことを思えば、男性は男性向きの、女性は女性向きの仕事を選択し、最大限に貢献する道を歩んだ方が現実的だと考えます。

私としては当時の思いとして、女性という宿命、現実を受け止めつつ、何ができるかを暗中模索し、少しずつでも粘り強く、新たな道を切り拓いているという自負があり、これも"後輩の女性自衛官のために"といった思いが強かったのは事実です。

さらには女性がリーダーとしていかに生きてゆくかという、その基礎を理論ではなくこの肌身で吸収し、学んでいた時期であったかと思い、今にしてみれば楽しい思い出となっています。

それは侮蔑的な発言や処遇をされたからといってネガティヴにとらえてへこむのではなく、その時々でどう対処すべきかを考え、自分なりにベストを尽くしたという充実した思いがあるからかもしれません。

 

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