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生き方

「もうあかんわ…」泣きじゃくる長女にダウン症の弟が差し出した“一杯のぬるいお茶”

岸田奈美(作家)

2021年06月24日 公開 2023年03月17日 更新

 

公的な人から受けた「善意」のアドバイス

福祉の相談に乗ってくれている、公的な立場の方々が何人かいるのだけど、そのうちの1人に「しんどいんです」と相談した。

「週に2度、デイサービスに行くようになって、少しは楽になりました?」
その人は、うれしそうに聞いてきた。

デイサービスは、朝9時から夕方7時まで、おばあちゃんを預かって外出させてくれるやつだ。同じ年代のほかの利用者さんと交流したり、食事や入浴をしたり、リハビリもできる。

そりゃあ楽にはなったが、ばあちゃんのカオスは、夜からが本番なのだ。前と比べれば少しは楽になったが、根本的なことはなにも解決してない。

「いやあ、けっこう、しんどいんですよね」
「週に2度以上行きたいなら、自費で行けますよ。そうします?」
「デイサービスだけじゃなくて、サービス付き高齢者住宅も考えてるんです」

ばあちゃんがいま調査を受けている介護認定のレベルでは、国が運営する特別養護老人ホームなどには行けないかもしれない。ばあちゃんは身のまわりのことはめちゃくちゃだけど、一応1人でできてるし、足腰も悪いが歩けないほどではないからだ。

「それっておばあさんを施設に入れるってことですか?」
「はい」
「うーん、もう一度考え直しませんか?」
その人は、ちょっと渋い顔をした。

「いまはコロナ対策で、施設に入ると面会ができなくなります。おばあさんも寂しい思いをしますよ」
「は、はあ」
「お姉さんは、ご自宅でできる仕事なんですよね。弟さんも、おばあさんと一緒にいた方が安心するかと」
「へえ」
「気持ちはわかるけど、老い先が短い家族さんのことです。もうちょっと冷静に考えてください。お母さまが退院されてから、もっとよく話し合いましょう」

気持ちがわかるっていうのは、勝手に相手の気持ちを想像した、ってだけじゃないの。 わたしだって、その人がなにを思ってそう言ったかわからない。

純粋な善意かもしんないし、いまは介護が必要な高齢者がたくさんいて、施設に空きがなくて、できるだけ自宅で介護してほしいのかもしんない。 相手の気持ちなんて、どんだけ注意深く見ても、1割くらいしか理解できないと思う。

あとの9割は、本人しかわからない。同じ状況でもなにを思うかなんて人によって違うし、感情には理不尽と矛盾が平気で混ざり合う。「桜井和寿さんが好きすぎて、テレビで見るのがつらい」と母は言った。好きすぎて見 るのがしんどい、という矛盾は案外ふつうに成り立つ。

わかってほしい、と、わかるわけないやろ、の理不尽さを合わせもっている人は、けっこういる。 だからわたしたちは、気持ちを理解しようとする謙虚さは必要だけど、気持ちを理解できるという高慢さは捨てなければ。

気持ちをぜんぶわかることは無理なんだから、基本的には、他人に向けたすべての行動は押しつけでしかない。どんなに善意でも、親切でも。「こういう方法があるよ!」「こういう工夫は試しましたか?」というアドバイスも、時として痛い傷になる。

すでに試したことを言われると、そんなこともできてないのかと叱られてるように聞こえるし、 ひとつひとつに答える気力も奪われる。相手が求めないかぎり、うかつなアドバイスはしない方がいい。

わたしも、うっかりすると、そうなる。押しつけている。その愚かさを自覚したうえで、見返りを求めず、生きるしかないのだ。 押しつけを「あんたのためを思って!」とか、善意で押し通すと、呪いに進化するしね。

ばあちゃんを施設に入れる。入れない。どっちに決めたかじゃなく、どうやって決めたかだと思うんだ、大切なのは。 わたしはいま、ばあちゃんと弟のことを思っている。それだけは変わらない。

彼らから不満の声があがれば、そのたびに考える。考え続けるし、自分を責め続けるし、許し続ける。「ばあちゃんがかわいそう」というのが、真実なのか、呪いなのか、わかんないけど、とりあえず、離れてみようと思う。だれに、なにを言われても。

 

「わたしがしっかりしないと家族が不幸になる」

弟の健康診断の結果を知る、ご近所の人から、こんなことも言われた。

「甘いわ! お姉ちゃんがしっかりしないと」
「しっかりできてないですかね」
「ダウン症の人は、寿命が短いやろ?」
はあ?

「ちゃんと管理してあげな、弟くんがかわいそうやわ。こんなん言うたら悪いけど、おばあちゃんは、弟くんのことをペットとして愛玩してるだけよ。わたしも福祉の仕事して長いから、よくわかるねん」
「えええ……?」
「お姉ちゃんがしっかり、おばあちゃんのことも、弟のことも見ないと。みんなを不幸にしたらあかんよ。わたしは、よーくわかってるから。あなたのために言うてるんやから」

突き刺さった。 突き刺さったということは、それは、正論の形をしていたということだ。 なにを返事したかも覚えてない。 これはわたしの精神が脆いんだけど、面と向かって、人に毅然とした態度を取って言い返すことができない。

なんでかわからん。こわいんだと思う。そういう自分の弱さがずっと嫌いだ。 文章なら、そこそこ、落ち着いてなんでも書けるのに、ねえ。

「ダウン症の人は寿命が短い」 「わたしがしっかりしないと家族が不幸になる」 突き刺さって、いまも抜けずにいる。

仕事が手につかなくて、コルクのマネージャーさんに泣きながら、「ごめんなさい、 原稿が書けません、納期が遅れてしまうとクライアントさんに連絡をお願いします」と言った。心臓がバクバクした。

いま、この家では、わたしが仕事しないとお金が入らないのに。書けない。しっかりしてるつもりだった。でも、正解なんて、わからないし。

わんわん泣いていたら、台所からガチャガチャと音が聞こえた。 わたしがやるはずの洗い物を、弟がやっていた。 洗い物してるところなんて一度も見たことがなかった。グループホームで係があって、そこで練習したらしい。

きれいになったコップで、あたたかいお茶を1杯、入れてくれた。あたたかいっていうか、ぬるかったけど。 姉ちゃんはきみを死なせたくないよ。でも姉ちゃんがしっかりしなくても、未来なんてなにもわかんなくても、きみは幸せな方に行こうとする力をもってる。そう思う。

正解を知らないけど、幸せな方に行こうとする力だけを、いまは信じる。こんだけしんどいのも、泣いてるのも、ぜんぶ幸せな方に行こうとしてるはずで。

ツッコミを。ツッコミを忘れてはいけない。どんだけしんどい日でも。アホバカボケ! と感じたら、すかさずツッコミを入れていくしかない。

 

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