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織田信長が教える「“能力のない人”を年功序列で出世させる」の効果

本郷和人(東京大学教授)

2021年07月02日 公開 2022年06月15日 更新

 

人生のピークを迎える織田信長

【編集S】織田信長は冷血でこわくて強引でワンマンなイメージですが、どんなことをしたんですか?

【本郷】信長が歴史上の表舞台に出てくるのは、今川義元と戦った「桶狭間の戦い」。その頃、織田信長は尾張国を治めていましたが、まだ若くていわば駆け出し。そんな駆け出しの信長に、駿河のめっちゃ強い大名・今川義元が、「信長には楽勝で勝てるな。尾張を獲るぜ!」って攻めてきた。

【編集S】今川義元はそんなに強かったんですか?

【本郷】そりゃあね。駿河・三河・遠江の3つの国を治めていたから、軍勢なんて信長の何倍もいる。それに、足利家と血縁関係にあった人でもあるから身分も高いし経験値もある。まともに戦って勝てるわけがない。

だから信長は、おとりを使って敵を分散させるなど、知恵をしぼったんだ。あとは、とにかく敵に突っ込んでいったり……。大雨が降って今川軍がビビったって話もある。結局信長が逆転ホームランで勝つんです。

【編集S】信長、なんか神がかってますね。

【本郷】戦のセンスがあったことは確かだね。強敵今川を倒して名をとどろかせ、自信をつけた信長は、足利義昭を室町幕府15代将軍に担ぎ上げて、自分も権力を握ろうとします。

【編集S】あ、まだ室町幕府は残ってたんですね。

【本郷】幕府はかなり弱体化していたけど、滅んではいなかった。織田信長と足利義昭は、はじめは利害関係でつながっていたけど、義昭はでしゃばる信長が気に入らないし、信長にとって義昭は目の上のたんこぶ。それで信長が義昭を追放して1573年に室町幕府は滅亡。

【編集S】信長の策略がすべて功を奏していくんですね。

【本郷】その後、信長は「長篠の戦い」で、はじめて戦に大量の鉄砲を取り入れて勝ちます。火縄銃です。これはイノベーションですよ。戦界のスティーブ・ジョブズです。

その後、安土城を築くなど信長は人生のピークを迎えます。それより前には、対立した比叡山を焼き討ちにして、僧侶など数千人が亡くなるなどかなり残酷な仕打ちもしています。

【編集S】武力で強引に天下をとろうとしていたんですね。

【本郷】たしかにそうなんだけど、「楽市楽座」といって、商業の規制緩和を行い、自由に商売できるようにして経済を活性化させるなど、政治手腕も発揮した正の側面もあるんですよ。

 

ちょっと危険な抜擢人事

【編集S】そんな信長も家臣の明智光秀に裏切られて終わってしまうんですね。

【本郷】「本能寺の変」での信長と光秀はガチの下剋上で、下剋上が時代を動かしました。ところで、下剋上ってどんなところで起きると思う?

【編集S】えっ。優秀な部下が上司に不満をもったとき、ですかね?

【本郷】そうなんだけど、下剋上は、上下関係や身分の秩序がしっかりあるところでは起きません。

【編集S】では、どんなところで起きるんですか?

【本郷】下剋上は抜擢人事があるところで起きるんですよ。

【編集S】えー。抜擢されるならいいじゃないですか、下剋上しなくても。

【本郷】そうとは限りません。抜擢人事は、能力のある人を引き上げるということ。その能力のある人物に野望があったら――上司だろうが先輩だろうが、恩があろうがなかろうが自分の目的のために裏切ることもいといません。

つまり、抜擢人事が「裏切り=下剋上」を誘発するんです。で、信長はガンガン抜擢していったわけです。

【編集S】そうか……。だから日本の企業文化として抜擢人事はレアケースなんですね。

【本郷】能力の低い人を年功序列で引き上げるというのは、上に立つ人間の生存戦略なのかもしれません。でも、そうすると企業の成長が先細ってしまうのも事実。これはジレンマなんです。信長も能力ある人物をどんどん抜擢していったからこそ、天下統一を目指せたわけで。

【編集S】信長は明智光秀を抜擢したんですよね。

【本郷】そうです。光秀はもともと朝倉という家に仕えていて、能力は秀でているのに一向に芽が出なかった。

それが信長の目にとまって、戦で活躍する家臣として重用された。とはいえ、信長のところは超絶ブラック企業だし、抜擢されてもつらかったんだと思う。それで起きたのが「本能寺の変」。

【編集S】ちょっと光秀に同情してしまいます。どこにいっても大変だったんですね。

【本郷】信長はまさか光秀に裏切られるとは思ってなかったんじゃないかな。豊臣秀吉は信長が討たれたことを知って、遠征先から急いで戻ってきます。

そして京都の山崎で明智光秀と激突するのが「山崎の戦い」。命をかけて下剋上した光秀ですが、「三日天下」といわれるくらいで、すぐに豊臣秀吉に討たれてしまいます。

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「成り上がり」豊臣秀吉の天下統一

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