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織田信長、豊臣秀吉、徳川家康...「上司にするなら誰?」エピソードから分かる“最適解”

本郷和人(東京大学教授)

2021年08月11日 公開 2024年12月16日 更新

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康...「上司にするなら誰?」エピソードから分かる“最適解”


(絵:カレー沢薫)

歴史に名を残した織田信長、豊臣秀吉、徳川家康がもし上司だったら?おもしろそうな、でも恐ろしいような気もしますね。非情だけどバンバン抜擢する織田信長、義理に報いる豊臣秀吉、合理的な徳川家康…天下人となった3人は、一体どんなマネジメントをしていたのか?3人のマネジメントについて東大教授・本郷和人先生にざっくり教えてもらいました。

※本稿は、本郷和人・監修、カレー沢薫・マンガの『東大脱力講義ゆるい日本史』(小学館)から一部抜粋・編集したものです。

 

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、だれを上司にしたい?

徳川家康の上方での本拠地・伏見城で、こんな話があります。伏見城は徳川家康の家だから、とうぜん妻や子ども、側室も住んでいる。家康が城を出たあと、石田三成軍が攻め込んできたときに、ある留守番の武士が妻子や側室たちを逃がして命を助け、自分は最後まで戦って名誉の戦死をしました。

家康は、結果をきちんと評価する上司なので、こういう武士はもちろん褒美もの。なのに、このとき、その武士の家を取り潰したのです。これはなかなか興味深い出来事です。

というのも、これまで家康が家来たちにどんなマネジメントをしてきたかを見ればよくわかる。家康は、現実主義者で物事を割り切って考えるので、こういうときに褒美をあげる人なのです。

一方、織田信長だったら、「オレが頼んだのは、女たちを守れってことだったよな。それなのにアイツは勝手に戦って勝手に死んだ。はい、フルボッコ!」といった感じ。信長は結果よりも、自分の命令通りに動いたかどうかが大事。

強烈なリーダーシップのみで、話し合いは皆無。部下はよほど出世欲がないとつとまりません。豊臣秀吉なら、「よくやった」といって評価するでしょう。農家出身で、一代で天下人まで上りつめた苦労人です。忠誠心、義理がたさを大事に考えるタイプです。

 

温厚な家康を怒らせたものとは...?

家康はこの3人の中で一番地味な印象を受けるのですが、もっとも仕えやすいのは家康ではないかと思います。

さきほどの伏見城の場合だったら、本人亡きあと、その家が代々続くようにと大切に扱い、配慮するのが家康なのです。でも、そうならなかったってことは、よっぽど家康が腹に据えかねることがあったに違いない。

これはあくまで推測の域を出ませんが……、逃げた女性陣に家康は話を聞いたんだと思うんですよ。そこで「手をにぎられた」とか、そんな話が出てきて……。その家臣が城の女性陣にセクハラをしていたのではないかと。

戦乱の世を生き抜いて国のトップに成りあがった家康が、前例のないことをするはずがない。家臣が女性に手をつけたというのが、よほど気に食わなかったんでしょう。圧倒的に正しいです、家康。

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島津の恨みを買ってしまった家康

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