自分の心に直面しないと、いつか現実に耐えられなくなる
合理化については、こんな例もあります。アメリカでは、それまで長いこと売れなかった缶コーヒー、インスタントコーヒーが、一挙に売れ始めたことがありました。普通にいれるよりも、インスタントコーヒーのほうが簡単で便利なので、当初は「簡単&便利」をアピールしましたが、一向に売れませんでした。
そこで戦略を変えて「空いた時間を家族のために使ってください」と訴える戦略に変えました。すると、インスタントコーヒーが売れ出したのです。
これも合理化です。みんな本当は、コーヒーをいれるのに手間暇かけるのが嫌なのですが、「めんどうくさいので嫌」とは言いにくい。そこでコーヒー会社は、家族のために時間を使うという合理化で消費者を安心させてあげたのです。
合理化は不安の客観化です。外側に不安の種を探して、本当の自分の心を見ていないので本質的な解決にはなりえません。したがって、合理化を続けていると自分の内面が弱くなります。
そして、内面が弱ければ弱いほど合理化はさらに多くなります。ですから自分の心に直面せず、合理化によって心の葛藤から逃避し続けていると、いよいよ不安になり現実に耐えられなくなります。
合理化のたびに無意識の領域で起きていることは、内面的強さの掘り崩しです。合理化をしている人は実は、無意識の領域で大きなコストを払っているのです。
合理化することでその場は心理的に楽になり、意識の上では何事もなくなり、その日は過ぎていきますが、本人にとって必ずしも望ましいことではありません。
合理化は結局、内面を弱くする
「人は不安を逃れるために攻撃性に頼る」とロロ・メイは述べています。
憎しみが正義の仮面をかぶって登場することがよくあります。テロリストは、革命家と称して暴力を振るっているだけです。様々な不安から逃れるために、攻撃性に頼ります。
不安と敵意は密接にかかわっているのです。不安に駆られてやっていることは、実はその人の無意識にある敵意がやらせていますが、これを合理化することで本人の内面はさらに弱くなります。つまり、内面の弱さと合理化は正比例の関係にあるのです。
合理化によって、その時にはいかにもすべて自分の思い通りになったように思うかもしれませんが、内面の強さはどんどん掘り崩されています。
世の中で起きる様々な不思議な出来事について「これは合理化ではないか?」と疑ってみると、見えてくることがたくさんあります。
いずれにしても合理化が内面を弱くするものだというのが、大切なポイントです。悪魔が神の仮面をかぶって登場するのが合理化で、合理化はパーソナリティー発達の停止を意味します。
【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。