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「受験勉強なんて、くだらない」一見して“合理的な選択”が覆い隠すもの

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2021年09月28日 公開 2024年12月16日 更新

「受験勉強なんて、くだらない」一見して“合理的な選択”が覆い隠すもの

不安に陥ってしまったとき、どのように解決できるのか。早稲田大学名誉教授の加藤諦三氏は、それには「消極的解決」と「積極的解決」とがあると語る。

加藤氏の著書『誰にもわかってもらえない不安のしずめ方』では、多くの人が選ぶ消極的解決は、一時的に不安から逃げることにしかならないというがどういうことなのか。

同書に記された4つ消極的な解決方法のなかから、「合理化」についての一説を紹介する。

※本稿は、加藤諦三 著『誰にもわかってもらえない不安のしずめ方』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

具合の悪いことを、愛情や正義の仮面でごまかす

すぐに思い当たると思いますが、合理化というのは例えば、感情的に自分の子どもを殴ってしまったという場合に、あるいはもっとひどい場合は子どもを虐待しておきながら、子どもを「しつけている」と言い訳をすることです。表現されない憎しみが、愛情や正義の仮面をつけて登場してきます。

このような場合こそ、「なぜ、自分の子どもとの関係はこうなのだろう?」と、自分のパーソナリティーを健全なものに変えていくチャンスなのですが、「自分は子どもをしつけているのだ」というふうに合理化してしまうと、問題の核心に向かっていくことができません。自分の本当の感情を、まったく分かっていないのが神経症です。

何か起きた時、どのような情動が生じるかには、その人の過去が影響しています。一方で、その事実にどのように対処するか、その結果生じた情動にどのように対処するかは、当事者のパーソナリティーの問題です。

親子関係ばかりではありません。例えば受験生が、受験勉強が嫌なのに「受験勉強が嫌だ」と本心が打ち明けられない場合です。

それが言えれば、自分のパーソナリティーに何か具合の悪いことが起きている警告として建設的に処理できるのですが、合理化してしまうと「受験勉強が嫌だ」と言わずに、友人には「お前、何のために生きているのだ?何のために生きているかも分からないのに、受験勉強なんかしたって意味がないだろう」。あるいは、「受験勉強なんて、くだらない」などの言い方をします。

本心が言えず、意識することもできない、本音が意識されていない、「受験勉強が嫌だ」ということも認めない……この人にとって、すでに選択しているのに、自分の敗北を認めようとしないのです。

 

「子どもに任せる」という言葉の嘘

あるいは、何か失敗した時に「失敗はいいことだ」というのもそうです。一般的に「失敗はいいことだ」といいますが、それは何がいいことなのか分かっていて、自分の再生への道を探ることができている場合に、初めて失敗はいいことになります。

「こうした内面的要因の発見が、より新しい洞察力を持った魂をつくる」(前掲書『心の悩みがとれる』94頁)

要するに、不安の消極的解決を拒否することが、不安の積極的解決に通じるということなのです。

「失敗はいいことだ」といいながら、何がいいことか分かっていないまま、「失敗はいいことだ」といって逃げている。失敗した時に不満になる、失望する、やる気を失うなど、それらの心理を追及して、そこから自分の再生への道を探ることで失敗は生きてきます。失敗を正面から考えることによって、失敗が生きてくるのです。

「失敗が嫌でしかたがない」「失敗するかもしれないと不安でしかたがない」。そうした気持ちを正面から見つめ、そこに自分の生き方の基本的な間違いがないかどうかに目をこらすことで、本当の出口が見つかるのです。

ところが失敗を合理化した人は、「失敗はいいことだ」という解釈で逃げてしまいます。失敗を恐れて、自我価値崩壊を防ぐために「失敗はいいことだ」という人ほど失敗するものです。

私も「失敗を喜べ」ということを本に書いたことはありますが、それは失敗をそのままにしていいという意味ではありません。失敗から逃げない時に失敗が良い経験になるということです。

例えば新しい仕事を始めたい場合、本当は臆病で始められないのに「家族にリスクを負わせるし、妻にも迷惑がかかるから」というような言い方をする。自分が臆病で不安だから離婚しないのに、「子どものために、離婚をしない」と合理化する。あるいは、子どもの教育でどのように指導していいか分からないので、「子どもの自由にさせています」と言う。

どのように指導していいかが分からないのであれば、その事実を認めて自分は親になる心理的成長ができていないということに気づき、課題として乗り越えていけばいいのです。

それなのに、どのように指導していいか分からないという事実を、「子どもの自由にさせている」と言い換える合理化は、いわば意識のブロックです。

「子どもに任せる」ということは嘘で、親が対応できないというのが本当です。「子どもを自由にさせています。子どもは自由が一番」というのは、対処できないことへの合理化です。

マザコンを親孝行と合理化する。愛情飢餓感から子どもに接しているのに、子煩悩と合理化する。いずれも代償的満足を求めているだけです。依存的関係を愛情関係と合理化しているのです。

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自分の心に直面しないと、いつか現実に耐えられなくなる

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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