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生き方

母親に手を上げた15歳の息子の本心…心の矛盾とSOS

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2021年09月15日 公開 2023年07月26日 更新

 

特徴(1) プロアクティブな心構えであること

レジリエンスのある人の、第一の特長は、プロアクティブに問題を解決することである。

すでに問題が起きてしまった今、どう対処するか。レジリエンスのある人ならば、まずそれを考える。それが、プロアクティブに、情緒的に困難な問題を乗り越えるということである。

今の感情的満足ではなく、先の問題解決を考える。現実を前にして逃げ出さない。今の重圧に負けない。起きた問題や、置かれた状況に対して、柔軟に対応する。

内的解決のために、自我価値を守る方に動くか、自我を成長させる方に動くか。問題に直面した時に、傷つかないように生きるエネルギーを使うか、自らの成長の方に生きるエネル

ギーを使うかで、その人の将来の幸せは決まるのである。

 

特徴(2) ものごとをプラス面から見られること

レジリエンスのある人の、第二の特長は、ものごとをプラス面から見られること、つまり経験から積極的な意味を得られることである。

子どもがいることのプラスとマイナスを考えてみる。

子どもがいると、保育園に決まった時間に迎えに行かなければならないから、気持ちに余裕がないというマイナスがある。しかし同時に、子どもがいると、保育園にお迎えに行くから仕事以外の人間関係ができて豊かな気持ちになるというプラスがある。

世の中には、子どもに暴力を振るうひどい親がいる。しかし、そのひどい親との体験をもとにして、人生に対する積極的な意味を導き出さなければ、その子どもはまともな人生を生きられなくなる。

親を見て、「こんな人間になってはいけない」という反面教師を体験することができる。「他の子の親は優しいのに、なんで自分の親はこんなにひどいのだ」と、自分の運命を嘆くのではなく、「この親が、ちゃんとした人間の生き方を教えてくれた」と考えることは出来る。

レジリエンスのある人は、もちろん心や体に痛みは覚えるとしても、その上で、何があっても「OK、しからば」という反応をするのである。レジリエンスは、問題解決における柔軟性によって特徴づけられる。これはエレン・ランガーが提唱する「マインドフルネス」ではないか。

「マインドフルネス」とは、新しいカテゴリーを作ること、古いカテゴリーにとらわれないことである。レジリエンスのある人が、経験から積極的な意味を見いだすのと共通性がある。先の家庭内暴力に悩む母親がもしレジリエンスのある人であれば、どう考えるか。

息子の家庭内暴力による「アザ」は、客観的に考えれば望ましい体験ではない。「にもかかわらず」この暴力があったから、息子はうつ病にならないで済んだかもしれない。

そしてこの「アザ」が我が家の問題を明らかにしてくれた。この時点で問題が明らかになっていなければ、将来もっと深刻なことが起きていたに違いない。そう思って辛い体験を乗り越える。

レジリエンスの研究者であるヒギンズは「Snap back(嚙みつく)」という言葉を使っている。レジリエンスのある人は、成長の過程で、直面する重要な困難に嚙みつく。そうして、受けた傷からリカバリーする

 

特徴(3) 他人の助けを得るのがうまいこと

レジリエンスのある人の特長の第三は、他人の助けを得るのがうまいことである。ヒギンズは、親に暴力を受けていた女性に尋ねた。「あなたの人生を振り返って、あなたはいろいろな苦しい体験をしたと言う。それを乗り越えてきた。あなたの最大の強さはどこにあると思いますか」

すると彼女は即座に答えた。「人の愛を得ることです。叔母さんも先生も、私が意味ある存在だと感じさせてくれました」レジリエンスのある人は、他人の配慮や好意を得る能力が優れている。その理由は、素直さであろう。素直な人は人から好意を持たれる。

人は誰でも助けを必要とするが、困った時に必要な助けを得るのが、レジリエンスのある人である。レジリエンスのある人は相手を見ている。相手がずるい人か、優しい人かを見分ける能力がある。

 

特徴(4) 信念を持っていること

レジリエンスのある人の第四の特長は、信念を持っていることである。決断力は、その人の人生が、よきものになるか否かの鍵である。その決断力の基となるもの、それが信念である。こうして生きていれば、必ずよいことがあると信じる。今の苦しみは、それに到達する過程であると信じている。

素晴らしい人生のビジョンをかき立て、信じる。その信じる力、その能力が凄い。それは財産とか、権力ではなく、心を信じて生きてきたことと、深く相関している。あるいは、神というような超越的存在を信じていることと、深く相関している。

花に水をあげている時には、花と話をしている。花が「美味しい、美味しい」と水を飲んでいると思いながら、花に水をあげる。花に上ってきたアリとも話をしている。そういう見方、感じ方で生きているのである。合理的な人たちはこの発想がない。

アドラー心理学者のベラン・ウルフは、神経症は病気ではないという。それは人生の問題に対する臆病な態度だという。臆病な人はどうしても財力、権力、名声に頼る。そして、それらのものに頼るから人生の諸問題が解決できない。

自分はレジリエンスがない、あるいは逆境に弱いと思う人にとって、逆境は今までの生き方を反省する機会である。逆境に強いか、弱いかは長年の生き方の結果である。それはパーソナリティーの問題だから、逆境になってから「さー、逆境に強い人になろう」と思っても、急に逆境に強い人になれるものではない。

逆境が身に染みた時には「これは神様が、生き方を改めろと言っているのだ」と思うことである。

逆境は神様からのメッセージである。

【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。   

 

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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