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生き方

「挫折から幸せをつかむ人」と「挫折して病む人」の決定的な違い

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2021年10月27日 公開 2024年12月16日 更新

 

「重荷になっている人」を断ち切る

虐待する人に囲まれて生きた人もいる。

30歳の女性の過去の悲劇である。父親は、アルコール依存症。その父親から殴られる。36歳の兄からも殴られる。母親は、ギャンブル依存症。その母親からも虐待される。暴力を受ける。

父親の暴力で、母親は自分を妊娠したという。そこで母親は、自分のことを憎んでいる。

両親は離婚した。

この女性は心療内科で薬をもらっても治らない。母親は水商売で生計を立てている。家に帰ってくると、テレビの音をもの凄く大きくする。そして「ワーワー」と騒ぐ。

実はその騒がしい状況が、この母親にとっての「子宮の中での体験」なのである。母親自身が愛されて成長していないので、お母さんになれない。

この30歳の女性が救われるためには、まさにレジリエンスの育成が必要である。「家には愛がないなら、外で探すしかない」と思えるかどうかである。

虐待された家庭でも、レジリエンスのある人は、家庭の外に信頼する仲間を作る。それが救いとなる。

彼女の場合、非行に走るか神経症になるか、それとも人間の偉大な可能性を示す例になるかの選択を迫られるような人生である。

この女性は、世の中を恨んでも責められない。自分の運命を呪っても責められない。罪を犯しても、神経症になっても、ある程度仕方ないと思われるかもしれない。

しかし「私は神に愛されている」と信じれば、人間の可能性を実現する人生に巡り合うかもしれない。

この女性は今のまま家にいて、心療内科で薬をもらっていても治らないであろう。

You can fight back.で、自分を虐待する家族と戦う。

職を探してとにかく家を出る。その準備を密かに始める。家を出る準備をしていると分かれば妨害されるから、分からないように準備をする。

まず、心の中で家族を断ち切る。今は家の人の感情の掃き溜めになっている。掃き溜めになることを拒否することがYou can fight back.である。

とにかくこの人たちと離れる。このままいてもいつか殺される。ならば戦って殺された方がよい。

体を張って戦う。戦うから自信が出てくる。今、自信がないのは、戦っていないから。

 

「信じられる人」と出会うためには

レジリエンスのある人は、どこかでどうしてか、自分は愛されるに値するという揺るぎない自信を定着させている。

親は信頼できる人ではなかった。残酷な人だった。

しかしどこかで、本当に信頼できる人に出会った。そしてそれ以後、その人自身も信頼されるにふさわしい言動をしていた。それが「私は愛されるに値する」という確信を強めたのではないか。

人生の初期の段階で愛のある人に出会い、その人を信じることができた子どもと、誰も信じられないで生きてきた子どもでは全く違う人になっている。

前者は、その後自分が信じるに値する人間になる。後者は、自分が信じるに値する人間になれない。

自分が信じるに値する人間でない以上、誰も信じられない。そうなれば、どういう人に出会うかどころではなく、その人にとって、誰も彼もが信じられない人間である。

信じられる人に出会ったかどうかが極めて重要な要素であるが、問題はそれ以後である。

レジリエンスのある人になれた人は、さらにその素晴らしい出会いの後で、深刻な抑圧を体験していない。つまり自分が自分を信じられる。

それに対して、信じられる人との出会いがあっても、その恵まれない環境でさまざまな抑圧を体験した人は、その出会いという幸運を活かさない。

自分を偽ることでしか生き延びてこられなかった。

レジリエンスのある人は、自分は愛されるに値するという揺るぎない確信を持っている。いろいろと迷いがあるだろうが、最後には私は愛されるに値するという岩盤の上にいる。

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今いる「地獄」から自分の意思で出て行く

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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